人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

来年のためにできる事を探して

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

そうか、その手があったかと、星占いに気づかされた

 去年の12月、あと少しでお正月というある日、朝の情報番組を見ていたら、星占いがやっていた。私はこういう占いの類は信じないし、遊び半分程度に「ふ~ん」ぐらいの反応をするだけだった。ところが、その時はなぜか気になって自分の星座のところを読んでみた。すると、「来年のために今日からできることを探して!」と書いてあるではないか、特に「今日からできること」に敏感に反応し、それでも「来年のために」は果たして目標となりうるのか疑問にも思った。だが確かに「今日からできること」はあるにはあるが、夢の話ではなく、実現可能な目標がなければ、やる気は出せないのだ。

 「来年のために」は明るい未来がなければ、いや、少しでもいいから希望がなければ成立しない。言い訳をするようで、心苦しいがこの先見通せない、五里霧中のような世界でコロナ禍の2022年を生きて来た。だから、目標などなかったし、以前にはあった海外旅行の楽しみも無くなったから、一日一日をきっちり生きるしかなかった。毎朝決まった時間に起きて、早朝散歩に行き、帰って来たらトイレ掃除と台所の拭き掃除をした。一日の始まりの日課を終えると、清々しい気分になり今日も生きていてよかったと思う。早起きは三文の得と言われるように、まさにその通りでまだ誰も歩いていない通りは自分だけの貸し切りスペースのようで、なんだか得した気分になる。

 不思議なことに寒さは全く気にならない。むしろ手先が震えるような寒さが心地よく感じられるのはなぜなのだろうか。昼間の世界とはまるきり違う別世界を独占しているかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。早朝散歩のたわいもない目的は、ついでに自販機の缶コーヒーを買うことだ。ちょうど今ごろはそれがカイロ代わりになってくれるので、ひとりで有難がって喜んでいる。これも小さな幸せで、当方はここ数年は大きな幸せを考えることを封印し、たわいもない小さな幸せをできるだけ多く見つけることに精を出している。自分の欲望を押し殺し、ささやかな幸せで満足して生きていくことを自分に言い聞かせた。そうでもしなかったら、とても正気ではいられなかったからだ。

 いつの間にか、朝の日課が生きていく上での心の支えになってくれた。毎朝5時15分にICレコーダーの目覚ましをセットしているので、NHK第一ラジオのニュースが聞こえてくる。土日も休みはなく、まるで機械仕掛けのロボットのように私の身体はむくっと起き上がる。たまに眠い時もあるが、そんなことはお構いなしに私の身体は動く。休みの時などはたまにふと「このまま寝ていようか」と思うこともあるが、すぐに「そうして、それで何かいいことがあるの?」ともう一人の自分に反論される。そうなったら、よくよく考えると、特に何もいいことが思い浮かばないので、一瞬にして思考停止。考えるだけ時間の無駄なのだ。

 そんなわけで私の身体は勝手にというか自然に動くし、特に苦痛は感じないので今日までその習慣は続いている。朝が早いから自然と夜は9時頃には眠くなる。今では典型的な朝型人間になった私も、以前は夜の静けさを楽しむ夜型人間だった。時々闇夜の静寂が恋しくなる時があるが、いかんせんお楽しみは続かない。すぐに眠くて朦朧としてしまって、もっと起きていたいにも関わらず泣く泣く諦めることになる。要するに二兎を追う者は一兎をも得ずで、夜か朝かどちらかしか選べないのだ。

 やはり、星占いの「来年のために今日からできることを探して!」というフレーズが気にかかる。足踏み状態で、一歩も踏み出せずに淡々と日々を送る私に「少しはやってみたら」と呼び掛けて来る。これってもしかして、いや間違いなく背中を押してくれているのか。無駄な事でも、ダメ元でやってみたら何かが変わるのではないかと思わせてくれるのか。現状を打破するきっかけになってくれるのか。う~ん、少しモヤモヤしてきた。さてどうしたものか。

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