人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

現代アートに困惑

日本では反応が鈍い、でも海外では熱烈歓迎!?

 先日のTBSラジオ『宮藤さんに言ってもしようがないんですけど』には目から鱗だった。今回は現代アーティストの男性C さんと女性A さんのふたりがゲストだった。”現代アート”と一口に言っても、様々な形態があるが、正直言って、当方にとっては敷居が高すぎて敬遠していた。番組のMCである宮藤さんも言っていたが、「こんなこと言って申し訳ないのだけれど、見たところで何が何だか分からないから、つい足が遠のいてしまうんですよね」となってしまう。そのとおりなのだ、作り手のエネルギーは十分わかるのだが、果たして「これって何が面白いのか」と考えてしまうと苦しくなってしまうのだ。それらの作品を「素晴らしい」とか「いいね」とか思えない自分はなんだか人間として、どこか足りない、いや芸術に対する感性が欠如しているのではないかなどと疑ってしまう。

 作品全体を舐めるように眺めてみても、何も頭の中に浮かんでこない。いつまで見たところで、いっこうに理解できずに、タダの変な絵とか物体で終わるのがおちなのだ。過去にマスコミの宣伝に踊らされて、その気になって期待して行ったのに、全然面白くなかったことがあって、それ以来現代アートには縁がない。と言うか、「ふ~ん」で終わるのだが、現在はネットでいくらでも試しに見ることができる。新聞の記事で「見る者を圧倒する」とか「固定概念を覆される」とかの最高の賛辞を受けてはいても、ネットで検索してサイトを覗いてみたら到底受け入れられないことも多々ある。なので、今は無理してわかろうとしなくていいかと軽く考えている。思えば、人には好みというものがあって、好きになれないものはどう頑張ったところで、好きにはなれっこない。自分の心に嘘はつけないし、またそうする必要もない。

 ゲストのCさんの手掛ける現代アートは、アナレンマ、ブロッケン、ミルクビズと呼ばれる3つの分野で、当方には全く効きなれないワードが並ぶ。試しにアナレンマを検索してみると、暗い夜空に流星が無数に散らばって光りながらうごめいている映像が写し出された。ちなみにこの光景を見た私の感想は「へえ~」の一言で、美しいだの、素晴らしいだのという心を鷲掴みにされると言う所まではいかないのだった。事実、Cさんも展覧会に来てくれるお客さんのほとんどは「ワア~ッ」とひとこと言うだけで、後が続かないのだと嘆いていた。とても残念な話だが、日本では現代アートに対する社会的な位置が低すぎるというか、まだまだ理解が足りないらしい。

 ところが、外国に行くとそんな悲しく理不尽な状況が一変するというから興味深い。日本では日陰の身の現代アートも、ひとたび外国の展覧会に作品を出品してみたら、思わぬほどの大反響があった。それ以来、世界のあちこちから仕事の依頼が引きも切らなくなった。想像もつかない話だが、世界では現代アートの展覧会には100万人規模の人々が訪れるのが普通だというから目から鱗だ。それだけ現代アートが大衆に受け入れられているという事実に眩暈さえ覚える。現代アートに注がれる熱視線も半端ないのだが、それと同時にそこは莫大なお金を生み出すビジネスの場でもある。海外では現代アートは日本とは違って、堂々と市民権を得ていることに違和感を感じずにはいられない。

 もうひとりのゲストのAさんは自然界に住む動物とコラボした作品を手掛けている人だった。たとえば、それはヤドカリで、彼に自分で作ったおうちを提供してそこに住んでもらうという発想だ。プラスティックのきらきらした模型や、自分の感性を駆使して作ったオブジェにヤドカリはすんなりと抵抗なく住んでくれるらしい。世のなかには なんとも面白いことを考える人がいるものだと感心を通り越して、びっくりした。現代アートは限りなく自由で発想は無限大、だからこそそれに共感する人は世界には大勢いるのだろう。

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