人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お腹が満たされたら

フードバンクを利用した人からの投稿に新鮮な驚きが

 昨日の新聞の紙面で気になったのは30代の男性からの投稿だった。だいたいが60代から80代の方からの投稿が多い中で、30代というのは滅多にないので注目してしまった。もっとも近頃はなんと90代の方からの日常風景を綴ったものもあって、きちんと生活しておられるのに感心することも多々ある。この30代の男性は自分の住む町の隣の市でフードバンクの食品配布会があることを知った。スマホで検索して会場の場所を調べ、片道1時間半かけて自転車で行ってみた。現地に着くと、「係りの人がねぎらいの言葉をかけてくれて、自転車の前かごと持参したリュックがいっぱいになるほどの食品や日用品を提供してくれました」と予想外の待遇に驚きを隠しきれないようで、感謝でいっぱいだと書いていた。

 片道1時間半も自転車を漕いだら、普通は疲労困憊でぐったりとなる。でも彼は家に着いて改めて貰った食品の山を見たら、疲れが吹っ飛んだ。子供の頃クリスマスに「サンタさんからプレゼントを貰った子供のように喜びました」と素直に真っすぐな感想を述べていて好感が持てた。世間の人から見たら、フードバンクを利用するだなんてことは声を大きくして言えることではないと偏見を抱いていた私はハッとさせられた。自分が困っていることを人は隠そうとするが、それは変なプライドが邪魔しているからで、彼のように堂々と支援を求めていいのではないかと思った。でも人は後ろめたいとか自分が情けないとか、あるいはそんな自分が許せないとかの理由で、暗い闇の中で悶々としてしまうものだ。ましてや彼のように新聞の投稿欄で実名でフードバンクを利用した報告をしてくれる人など皆無だろう。

 彼は「人によっては『何もそこまで・・・』とか『自己責任』とか批判的に言うのかもしれません、しかし、どうであれ、お腹は減るのです」と主張する。そうなのだ、その通り、世間の人はなんだかんだとゴチャゴチャ勝手に言うのだが、そんなことは腹の足しにもなりはしないのだ。まずはお腹を満たすことが先決で、フードバンクから頂いた食品はきっと真っ暗闇で心細くなった心も満たしてくれるだろう。”腹が減っては戦はできぬ”と言われるが、投稿の文面も「お腹が満たされたおかげで気力が湧きました」と明るい言葉で結ばれていた。空腹ではネガティブなことしか頭に浮かばないのは当たり前で、そんなことぐらいでと言わないで欲しい、短絡的なことかもしれないが、お腹が十分満たされると人には心の余裕が生まれるものらしい。

 今まで自分の中ではフードバンクというものはその場しのぎの支援でしかないと思っていた。だが、この投稿を読んで、”一時的な支援”のように見えても、当事者にとってはこれからを生きる希望の光になり得るのだとわかった。何よりもガ~ンと胸に響いたのは「どうであれ、お腹は減るのです」と言う人間にとって究極の欲望をサラッと生々しさなどなく訴えていることだった。考えてみると、理性で誤魔化してはいるが、人は空腹だとイライラする、いや、普通ならどうってことないことにも腹が立つこともある。だから、例えば貯金通帳を眺めて、その残額の少なさにため息をつき、さらに空腹でお腹が鳴ったとしたら、目の前にあるのは”絶望”でしかない。そんなときは決まって物事の暗い面しか見ようとしないし、あることないことロクでもないことしか頭に浮かんではこないだろう。

 でも、一時的にせよ食べ物でお腹が満たされれば、人は幸せな気分になれるし、ホッと一息つけるのだ。そうなれば、人は現状を打破するいい考えを思いついたり、あるいはそれが何らかの行動を起こすきっかけになるかもしれない。人の気持ちは摩訶不思議で、ちょっとしたことで、思い悩んだり、喜んだりと予測がつかない。いずれにせよ、今回の投稿で”腹が満たされてこそ、人は前向きになれる”ものなのだと気付かされた。

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