人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ペットボトルの値上げ

 

値上げは想定外、でもさらなる値上げが

 昨日新聞を読んでいたら、ペットボトルの値上げの記事が目に飛び込んで来た。写真を見ると、これから夏にかけて、のどを潤すのにはもってこいのコカ・コーラや清涼飲料水などのお馴染みの商品がいっぱいある。いくらペットボトルを買わないと決めていても、喉の渇きには抗えないだろう。6月から20円ほど上がるそうだが、それぐらなら構わないなどと思ったら、それはとても危険なことだ。たった20円でも”塵も積もれば山となる”で後から愕然とすることになる。特に家計簿など一切付けない私のようなどんぶり勘定派は月末に衝撃を受けることになる。なぜなら、たいして贅沢をしていないし、お金をそんなには使っていないのにも関わらず、お金がいつの間にか忽然と消えているだ。う~ん、いったい何に使ったのだろうとお財布を眺めながら、考え込んでしまう。全くもってこれこそ、時間の無駄である。

 お金の専門家によると、お金を使ったという感覚がないままに生活している人はお金が貯まらない人だそうだ。使ったお金を把握できていないので、納得することもできないという悪循環に陥っているのだ。でも今はそんな屁理屈はどうでもいい。現実問題として、これからはお金に羽が生えているのではないかと錯覚してしまうことが多いのだろう。以前ペットボトルを買うくらいなら、カフェで一休みする方がいいと書いた。でも、この間某有名コーヒーチェーンのカウンターで注文をしようとして、仰天した。コーヒーだけでなく、ケーキ類や菓子パン、サンドイッチなどのすべての商品が値上げされていたからだ。久しぶりにカフェに来たせいもあるのだが、以前は500円もあれば十分だったはず。なのにカフェラテと小さなケーキを買ったら、730円だなんて!これじゃあまるでスターバックスみたいではないか。

 コロナ禍でカフェに行くのを敬遠していたら、予想もしない展開になって戸惑うばかりだ。これではコーヒー一杯で粘らない限り、ちょっとした気分転換をするにもお金がかかることになる。もう気軽に”ちょっとお茶でもして行こう”などとは思えなくなってしまった。こうなると、コロナ前の世界が懐かしく、戻れたらいいのにと勝手になことを思ってしまう。そんなボケ老人みたいな、昔はよかったみたいな発想をしていたら、チコちゃんに”ぼうっとして生きてるんじゃないよ”と叱られてしまいそうだ。今こそ今までの古い考え方を捨てて、発想の転換をする必要がある。

 考えてみると、コロナ禍の中にあって、よかったことを探すとしたら、そんなのあるわけない。だが、ふと気が付くと、“よかった”がひとつだけあった。それは、それまでの自分はカフェのあの空間でないと集中できない人間だと思っていた。事実、家では語学の勉強にしても、本を読むにしても一点集中ができなくて、自分の世界に入り込めなかった。今一つ、何かが足りなかった。それでも、諦め半分で、仕方なくやっているうちにカフェでなくても、自分の部屋でも十分できることを知った。もちろん、外の世界に行くことは最高の気分転換になる、でもそこで以前のように落ち着けるかと問われると、甚だ答えに窮する。

 値上げの話に戻ると、ある日の新聞に「ささやかな楽しみを奪われて」というタイトルの投書が載った。投稿の主は60代の男性で、週3回パートの仕事をしていて、帰りにドーナツとコーヒーでホッとするのが楽しみと書いてあった。ドーナツ140円とコーヒーが260円で合計400円だ。だが最近のさらなる値上げでそのささやかな楽しみを奪われた。3回のところを1回にしようかと思っている。人には誰にでも、小さな、人には取るに足らないことであっても、ささやかな楽しみがある。なあ~んだ、そんなことかと呆れられてしまうことかもしれない。でもその人にとっては重要事項だ。考えてみると、そんな小さな楽しみであってもお金が絡むと、すぐに脅かされて、悩ましい問題にすり替わってしまうのだ。

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