人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ドリトル先生航海記

 

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▲この本はヒュー・ロフティング作の「ドリトル先生アフリカゆき」を始めとするシリーズのうちの一冊。

ドリトル先生って、いったいどんな人?

 ドリトル先生の名前は以前から知っていましたが、てっきり子供の本の主人公に過ぎないのではと思っていました。ですから、ドリトル先生の本も子供向けのファンタジーで、大の大人が読むものではないという偏見すら持っていました。昔のテレビドラマの影響でドリトル先生は獣医で動物の言葉がわかる人、というのが先生に対するお決まりのイメージでした。なぜそんなにドリトル先生にこだわるのかと言うと、佐藤雅彦さんの『ベンチの足』に収められているエッセイ「たしかに・・・」が原因でした。

 電車の中で皆がスマホで暇つぶししている中で、ひとりの小学生の男の子だけが一心不乱にある本を読んでいました。明らかに彼だけがあの時他の誰よりも濃密な時間を過ごしていたのです。彼は他人と同じ時間を共有しながら、それでいて全く別世界に居て、彼だけに熱い時間が流れている気がしたのです。彼の持つ熱量は他とは一線を画していたので、ついつい大の大人が嫉妬してしまうくらいでした。しばらくすると、彼は不意に「たしかに・・・」と独り言をつぶやきました。大人なのに情けない限りですが、どうしても、彼の「たしかに・・・」がいったい何なのか、知りたくてたまらなくなりました。一時は忘れたかに見えましたが、きっと頭の片隅に情報が擦りこまれていたのでしょう。先日町を歩いていたら、古本屋の店先で「ドリトル先生航海記」と出会ってしまいました。他の本もあったので2冊買って帰りました。これってもしかして運命かも知れないと密かに思いました。

 読んでみると、ドリトル先生はいつも旅行に出かけていてお留守で、お宅にはめったにいないようです。それで、いつも旅行に行けるのだから、さぞかしお金持ちだとばかり思っていました。リドリー、トニー・スコット両兄弟のように働かなくてもよくて、趣味で映画を撮る人たちのような身分だとばかり、でもそれはとんだ誤解でした。先生の旅はお金があまりかからない、動物たちに助けられたり、あるいは頭を使って困難を切りぬけるワクワクドキドキの旅でした。それに先生は医者でもあって、頭の回転が良く、機転が利く人でした。でも10歳のスタビンズ君が先生の助手になりたいと頼み込むと、「博物学者はお金にならない、いやそれどころか、反対にお金を使う職業だからやめたほうがいい」と諭すほどでした。

 先生の特技、つまり動物の言葉が話せると言うことがどんなに役に立つかわかる出来事が起こりました。知り合いの男性が20年前に犯したという罪で牢屋に入れられてしまったのです。当時その場にいた人間はいなくて、ただ、男性が飼っていた犬だけはその時の一部始終を見ていたのです。先生は犬と人間との通訳を申し出るのですが、当然ながら皆は信じようとはしません。それで、裁判官は自分の愛犬を連れてきて、昨晩、自分が何を食べたかを犬から聞き取ることができたなら、先生の言葉を信じようと約束しました。その犬は裁判官が夕食を食べるのを側にいて見ていたので、スラスラと食べたものを話すことができました。それから、街に出かけて賭けをした後、へべれけになってやっとのことで家に帰ってきたなどと言う余計なことまで喋ったので、裁判官は顔を赤くしました。おかげで、知り合いの男性は無実だとわかり、釈放されて自由になることができました。

 航海に出てみると、ある日氷山に行き合う経験をしました。太陽の光が氷山に当たると、砕けて宝石の宮殿みたいに輝きました。その時先生は北極で以前出会った白クマと再会するのです。先生は氷山の上で子グマを抱いた母親に救いの手を差し伸べるのですが、彼女は断ります。先生たちが寒さに震えているのにも関わらず、クマにとって足の下に氷がない船の甲板は暑すぎるのでした。

 航海には当然ながら、何らかの危険が伴いますが、先生と助手のスタビンズ君が乗った船は難波してしまいます。船が真っ二つ裂けて、流されて大海原に放り出されてしまうのです。でも大丈夫、先生を慕う動物たちがいつだって助けてくれるのです。スタビンズ君に言わせると、自分より小さくて弱々しいとしか思えない海ツバメは想像以上に強者です。いくら海が荒れ狂っていようと気にもしません。彼らこそまさに「海の水夫」でどんな状況でも海全体が住家なのです。

 それから先生になくてならないのはオウムのポリネシアで、この200年は生きていると思われる鳥は大変な物知りで、ものすごく知恵が回ります。先生がお金の面や何らかの問題に直面すると、必ずこの鳥が解決策を授けてくれます。もちろんあらゆる動物のネットワークを駆使して、お金を使わなくても解決してしまうのです。この点において私たち人間は、どうしても資金の不足を問題にしてしまうのですが、「利用すべき自然がこんなにあるじゃない!」と目から鱗の思いです。何でもお金で買うことしか考えられない人間は、自然に生きる動物たちのもつ能力に圧倒されっぱなしなのです。

 

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