人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

難解なロシア語に魅せられて

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気軽に始めたら、興味深い物語と出会って

 ロシア語との最初の出会いはもう十年以上も前のNHKラジオのロシア語講座でした。当時は安岡治子先生が講師で、確か十三番館という古い西洋館を舞台にしたお話でした。今でも思いだすのは先生の落ち着いた優しそうなお声と、十三番館に住む人々の生活と交流を描いているところがとても興味深かったことです。当時はまだ放送時間が20分で、今では信じられませんが「お茶の時間」もあったのです。講座の合間のコーヒーブレイクでロシア民謡や流行りの歌を毎回聞きました。文法が難しかったことよりも、未知の音楽が聴けて楽しかったことしか覚えていません。いきなり難解な勉強から入るというより、初心者向けのロシア語案内というような番組だったのです。

 この「十三番館」の主人公は年金生活者のグレゴリー・ペトロヴィッチと言う男性で、まずは彼の自己紹介から始まります。年金は多くはないけれど、まあ今の生活に満足していたはずでした。でもある事件が起こってしまいました。それは彼の住む建物の自治会長が住民の積立金を使い込んでしまったのです。これって、どこかで聞いたことがありますよね、当時日本でも同じような問題がたびたび新聞を賑わせていました。遠く離れたかの地でもまた人の悩みは変わらないのだと親近感さえ抱きました。さて、急遽集会を開き皆で当の本人をとっちめたら、あろうことか金はもうないの一点張り。謝るばかりで全く埒が明かない。どうやら自分のお金も戻っては来ないのだとわかってきた。こんな時どうして政府は助けてくれないのか。少ない年金でやりくりしている自分たちのことをなぜ考えてくれないのだろうかと彼の嘆きは止まらない。

 そんな彼にはターシャという可愛い孫娘がいて、同じ建物に住むニキータと言う青年と仲がいい。ロシアでは自分の家に人を招くのが普通で、ニキータも自分の部屋の家具を彼女にせがまれて見せてあげた。彼の仕事は当時流行りのすし職人で、普通の仕事に比べて何倍もよい給料をもらっていた。だから彼は年金生活者よりもはるかにいい生活をしていたはずだ。そう言えば、当時のモスクワやサンクトペテルブルグにはすし店が立ち並んでいた。「これが寿司なの?」と突っ込みたくなるくらいの代物が運ばれてきた。ありえないロシア風寿司に仰天したが、”郷に入らば郷に従え”でお面白がることにした。それが今では「あれはいったい何だったの?」とすべてが夢だったかのように思えるほどに見る影もないのだった。あの賑わいは幻だったのか、ブームは去ったのだった。

 グレゴリー・ペトロヴィッチは猫が嫌いだった。でもある日ふと一匹のネコが自分の方に近づいてくるのに気づいた。あれはたしか同じ十三番館の住人で年金生活者の女性のネコに間違いない。そのネコ命の女性と彼は先日言い争いをしてしまったのだ。原因は彼が好きな戯曲の劇作家を彼女が酷評したせいで、我慢がならなかったのだ。このエピソードからは日常生活の中にしっかりと文化の風が入り込んでいるのを感じてしまう。ロシアの庶民にとって芝居を見て楽しむのは当たり前のことなのか。そのことは到底日本人には理解できないことだ。普通の人が劇場に足を運び、芝居や音楽を楽しむのが日常だなんて、そんな世界があるなんて俄かには信じられないことだ。でも実際現地に行ってみると、街角では演劇やコンサートの看板やポスターがやたら目に入って、私たちを誘ってくる。そして次に発見するのはチケットを売っているブースで、わざわざ劇場に足を運ぶ必要もなく至れり尽くせりだった。

 考えてみると、最初は「十三番館」のストーリーからロシア文化に触れて、興味津々でロシア語の世界に入って行った気がします。当時は本当の意味でのロシア語の難解さを知りませんでした。でも、まいにちロシア語黒田龍之助先生の講座を聞いて以来、断然好きになり、ロシア語は面白いとさえ思えてきたのです。私ごときの拙いロシア語でも相手はちゃんと耳を傾けてくれる、そんなすべてを受け入れてくれるお国柄がロシアの一番の魅力だと言えるでしょう。現在の私にとって、ロシア語は灰のような物、でもその灰の中に火種はまだ残っています。だからいつだって火は燃え上がるのです。最後のロシア旅行から1年半が経とうとしています。またいつか行ける日が来るのを励みにして勉強を続けていきたいです。

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