人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

早起きしなきゃ

"早起きは三文の徳"は正しい?

 私は毎朝5時15分に起きて、早朝散歩に出かける。そもそも私がこんなに早起きになったのはどうしてなのかと考えてみると、コロナが流行したせいだった。元々散歩の習慣はあったが、仕事に行く前の7時頃に歩いていた。だが、コロナが流行し始めると、周りの様子が次第に変わってきた。ちょうど折も折、桜の花が咲き始めた頃で皆が外へ外へと出て来たのだ。夫婦やカップル、家族揃って、皆談笑しながら散歩を楽しんでいた。特に花見スポットというわけでもないのに、近所のあちこちで桜の花が満開だったせいだ。花見の季節には大勢の人が出るのは当然だが、あんな早い時間に人混みができるなんてありえない。信じられない光景に驚き、あんな状況では感染してもおかしくないと不安になった私は、散歩の時間を早めることにした。

 それで、「早起きしなきゃ」となったわけだが、1時間早く起きることは最初は苦痛だった。でも3日坊主にならなかったのは、周りにはほとんど誰もいないし、時々ランニングしている人に出会う程度で、爽快な気分になれたからだ。昔から、”早起きは三文の徳”という言葉があるが、早起きすると何かいいことがあると言うのはこのことを言うのかもしれないと気が付いた。始めた頃は春だったから、まだ明るかったが、そのうち冬になると、まだ夜明け前の漆黒の世界に出会った。昼間とは一線を画した幻想的な雰囲気を感じたとき、別世界に居る様な気がして嬉しくなった。夜でもない朝でもない、中間地点の曖昧な時間に自分が身を置いていると感じたら、なんだかお得な気分になった。

 早朝でしか味わえない不思議な感覚に味を占めた私は、それ以来3年もの間、当たり前のように早起きを続けてきた。今となってはもはや身体が動きを覚えてしまって、勝手に動く。毎朝ICレコーダーからNHK第一のニュースが聞こえると自然と目が覚める。その時もう少し寝ていたいと思っても、まだ眠いのになあと一瞬思っても、そんな戯言は一切無視して、身体はすぐに起き上がる。なんと3年の間にこんなにも立派に習慣が身についてしまうとは、怠け者の私にしては上出来だ。想像できないほどに真面目で、我ながらあきれるばかりだ。でもなぜそうなったかはちゃんとわかっている。

 要するに、早起きして、早朝散歩に行って、一日を始めるのを”生きがい”にしてきたからに過ぎない。それらのことは私に毎日の生活のリズムを作ってくれた。いったん自分で決めたことを一つ一つきちんとこなすことだけが、その時の自分にできることだと信じていた。目の前にあることをこなすことで、心の平安をかろうじて維持していた。何の目標もなく、希望もない霧の中ではそれが自分ができる精一杯のことだった。おかげで一度ならず、何度もどうかなってしまいそうになったにもかかわらず、今まで狂うこともなく生きてこられた。

 早起きは精神的に病んだ人を立ち直らせるプログラムに取り入れられるほど、有効な手段だと聞いたことがある。朝の光を浴びるだけで、人は希望を取り戻せるのだとも聞く。一方、最近の研究では、無理して早起きする必要など全くないとも言われている。その真偽のほどは分からないが、最近私の心の中に変化があった。3年間目標というものを持たなかったのに、突然「海外旅行に行く」という大それた?希望が湧いてきたのだ。となると、どうしても”黄金の時間”でもある夜に至福の時間を過ごしたいと思うようになった。ところが、朝早いと当然夜はすぐ眠くなるのが人の常だ。朝と夜の両方のいいとこ取りはかなわないので、そうなると、今まで考えもしなかった悩みが生まれる。

 眠いのにそれに逆らって、それでも何かをやろうとするのは時間の無駄なのは確かだ。『思考の整理学』の外山滋比古先生もその著書に書いておられた。眠いのにグダグダして無駄な抵抗をしているぐらいなら、さっさと寝てしまってその分早起きした方が千倍得するのだと。いずれにせよ、何か起こらない限り、当分今のままの生活を続けていきそうな予感がする。

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