人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

充実させなきゃの呪縛

なぜ毎日を充実させなければならないのか

 私は今までずうっと、「毎日充実した生活を送ってさえいれば、きっとその人の人生は充実したものになる」と信じていた。つまり「充実した毎日が充実した人生を作る」のだと信じて疑わなかった。私の考えでは「充実する」というのは行動に意味を持たせることで、となるとそれに集中して取り組むことだった。そうすれば、やったらやったなりに何かが得られると考えていた。その副産物を”やりがい”とも呼べるかもしれない。でも現実の生活において、すべての行動に意味があるのかと言うと、そうでもないことは明かだ。意味がなくてもやらなければならないことは山ほどある。それらは一般的に雑用と呼ばれるものだ。

 雑用とはたいして面白くもないが、かと言ってそれをしないと生活に支障が出る行動のことだ。買い物とか掃除とかといった、誰かが必ずしなければならない必須の仕事をさすのだと思っていた。それまで特に気にしなかったのに、「雑用」という言葉を改めて考えさせられたのは新聞で見たある新刊本の広告だった。そこには『あなたの人生は雑用の連続ではありませんか』という問いかけがあった。さらに『あなたはまだ本当にしたいことをやっていないのではないですか』と続き、『あなたはこのままで人生を終えて後悔しないのですか』と畳みかけていたのだ。要するに、死ぬときに後悔しないように生き直そうという啓発本だった。ここで使われている「雑用」は私が考えていたよりもはるかに深い意味あいを持っていた。

 考えてみると、私に限っていえば、ほぼ人生の半分は”雑用”に使っているのかもしれない。でも世間で言われるのは「充実した生活を送ろう」で、となると誰にでも平等に与えられている一日24時間をできるだけ効率的に使おう思うのは当然のことだ。だが、やたら効率を重視しすぎると、上手く行かないときはひどく落ち込み、苦しくなる。正直言って、楽しくないし、こんなことに意味があるのかと疑いたくもなる。こうなると本末転倒で、充実させようとしているのに、逆に自分を追い込んでしまうのだ。なので、無理して「充実させよう」だなんて、大それたことを、自分には不可能なことを目標に掲げなくてもいいのではないかと思うようになった。私には「充実させる」素質はハナから無いのだとわかって、きっぱり諦めた。

 そんなとき、日経新聞の人生相談で「私の日々の生活は充実していないと感じています。どうすれば充実した生活を送れるのかアドバイスを頂けませんか」という投稿があった。そのなんとも悩ましい質問に答えるのはお笑い芸人の山田ルイ53世さんだった。その質問に山田さんは「別に毎日を充実させる必要は全くありません」と一刀両断。これには面食らった。目から鱗だった。山田さんはこれまで「充実した生活」というものを考えることなく、というよりその余裕もなく過ごしてきたと言うのが本音だった。だが、本当のところは几帳面な性格で、効率を考えられるほどの心の隙間もなく、またその必要性を感じなかっただけなのだ。

 要するに、山田さんは、世間の「もっともっと」という風潮に同調しなくても大丈夫だからと言いたのだ。自分がまあまあこれくらいでいいかあと思える程度の生活を普通にすればいいのですよということらしい。毎回拝読していて、いつも山田さんの回答はユニークでこんな考え方も有るのかと感心するのだが、今回は特に仰天した。それで、別に「充実した生活」を意識する必要もなく、自分が好きなようにすればいいのだと気付かされたのだ。私はできないので諦めたわけだが、山田さんはきっぱりと「そんな気もない」と言えるところが実に素晴らしい。

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