人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

身体が動くからサボれない

今週のお題「サボる」

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▲シベリアのクラノヤルスク。まいにちロシア語テキストから。

毎日の散歩はなぜか、サボる気にはなれなくて

 正直言って「ブログをサボらずに書いている あなたへ」という冒頭のフレーズを見つけたときは、ドキッとしてしまいました。もしかして私のこと?と思ってしまったからです。誰にやらされてるわけでもなく、確固たる目標があるわけでもなく、ただ楽しいからやっているだけです。だから、書くべきネタが見つからず、辛くなってしまった時は即終了するつもりです。楽しくなければブログじゃないのです。今はまだその時が来ていないだけのことなのです。

 そう言えば、早朝の散歩もコロナ禍の世の中になって以来、休みなく続けていることです。コロナの前は仕事が休みの日は「休養も必要」だと週末は8時頃まで惰眠をむさぼっていました。でも早起きをしなくて済むし嬉しいはずなのになぜか満足感がないのです。身体の調子も今一つで、どうやら平日と休日の起床時間の差がありすぎると生活のリズムが狂ってしまうようです。それでコロナが流行り出したのをきっかけに毎日の習慣にすることにしました。最初は「たまにはサボりたい」と眠い目をこすりながらいやいや出かけることもありました。でもそのうち身体が自然と動くようになりました。

 今では朝の散歩をしないと一日が始まらなくなりました。つまり、朝が来るのを待ち望むようになり、朝の時間が大好きになりました。「早朝に歩く」と決めたときはちょうど人混みを避けて歩いたり、走ったりする人が多くなってきた頃でした。「みんな考えることは同じだなあ」と実感したものです。夏が近づいてきて誰もが早起きが気持ちいいと感じる頃でしたから当然のことです。ところが寒い冬が近づき、日の出が遅くなり6時でもまだ薄暗い季節になると、みんないなくなってしまったのです。外がまだ暗くて寒いと「やめておこう!」とそんな簡単に思えるものなのかと呆れてしまいました。人間はそんなに単純でわかりやすいものなのかと信じられない気持ちになったのです。

 道路に人ひとりいない、まだ空に月が残っている中を歩いていると最初は少し怖いなあと思ったこともありました。でもそのうち慣れてくると、まさに別世界で、今自分が居るのが朝なのに真夜中に彷徨っているかのように感じてしまうこともありました。薄暗闇の中に居る自分が何だか楽しくなってきました。人が大勢行き交う昼間の世界と差がありすぎて、これが本当に同じ世界なのかと思えてきました。自分だけの世界と錯覚して、勝手に爽快感を感じていたのでした。先行き不透明な世界で「なんだか、気持ちいい」、一日の始まりにそう感じられることが救いでもあったのです。

 早朝の散歩をしていると、たまに事件に遭遇することがあります。事件と言っても大したことではないのですが、ちょっとした変化にうろたえる経験をすることがあるのです。それはお約束のように、いつも休みの日の早朝に起こります。例えば、道路の真ん中でカップルが痴話げんかをしていたり、酔っぱらっているのか道路の真ん中に大の字に寝ている女性を男性が起こそうとしている場面に出くわしてしまいます。あるいは遠くから見たら人がなにやら道を千鳥足でふらふらしているかと思ったら、それは若い女性で、連れの男性が心配そうに見守っていたりします。こんなふうに私をギョッとさせてくれるのはいつだって若者なのでした。

 コロナ禍の真最中の今ではもうありえない光景ですが、久しぶりに自転車の陰で寝ている男性を目撃してしまいました。行きと帰りで同じ道を通るのですが、行きは看板などの陰に隠れて気が付かなかったのに、帰りには運悪く目の前に人が横たわる姿を発見してギョッとなりました。以前には犬に追いかけられそうになったこともあります。ある日いつものように歩いていたら、前方から嬉しそうにゴールデンリトリバーが走ってくるのが見えました。その犬はリードが付いているのにも関わらず、後ろに居る飼い主とは距離がありすぎます。その時ふと頭の中に「もしかしたらリードが付いていないのかもしれない」などというありえない考えが浮かんだのです。

 それで危機感を抱いた私はすぐに回れ右をして速足で逃げることにしました。犬は人が走ったら余計に喜んでついてくるものなので、走ってはいけないのです。後ろから飼い主らしき人の「ごめんなさい、怖かったでしょう」という謝る声が聞こえましたが無視しました。いくら犬好きの私でも、他所のそれも大型犬は正直怖いのです。

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