人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

頭が思考停止状態なので「停」

今週のお題「現時点での今年の漢字

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 ▲ナマケモノのマグネット。NHK旅するスペイン語テキストから。

オミクロンも怖いが、どうしていいかわからない

 最近の私はコロナの感染者数をデルタ株の時ほど気にしていない。もうなんだか諦めていて、「なるようにしかならない」と冷めきった目で見ている。それにオミクロンはインフルエンザに似た症状だと聞けば、そんなに怖がることもないのかと誤解してしまいかねない。ただ、インフルエンザと同じ物だと考えるのは危険なことのようだ。もしインフルエンザだったら、治ったら「それで終わり」だがオミクロンはそうはいかないみたいだ。今日の朝日新聞に載っていた「アエラ」の広告には「オミクロン感染者24%に頭の霧」とある。どうやら後遺症が厄介で、その症状も他人には理解されにくいらしい。誰しも他人の痛みは理解できないし、ましてや身体がだるいとか、頭が痛いとか、なんだか気分が悪いとかは本人でなければその辛さはわかるはずもない。だから、第3者の目には、やる気がないどうしようもない人としか映らないだろう。

 私だって、できることならオミクロンに感染したくはないが、どうやって予防すればいいのかがわからない。マスクも消毒も空気感染には何の役にも立たない気がするから。それでも用事があれば外に出かけるし、電車にも地下鉄にも乗るし、新幹線で遠出もする。政府はテレワークを勧めるが、仕事はそれだけでは終わらないので会社にも行かなければならない。外に出ない方がいいとわかっているのだが、敢えてそうするのは生活があるからで、自分がどうしても必要と判断したからだ。生活費を稼ぐ仕事の時だけではなく、自分にとって必要だと感じたら、遠出もするし、芝居にもコンサートにも出かけていく。要するに自分で、「要」と「不要」、「至急」と「不急」を判断して行動するしかないと思う。

 今はっきりしているのは、もうあのデルタ株の流行した時ほど、緊張感がないということ。テレビの報道番組で専門家の話を聞く機会があるが、皆気をつけろと言うだけで、誰も具体的なことは教えてくれない。「正しく恐れる」という言葉がよく言われているが、では、一体全体どう行動するのがベストなのかはわからいままだ。たぶん誰も正解を知らないのかもしれないと想像する。だからこちらは以前ほどコロナを意識することなく、まるで忘れたかのように普通に行動するしかない。忙しさに紛れて、各自すべきことをして毎日を送っている。

 先日の日経の夕刊のコラムはジャズピアニストの大江千里さんの担当だった。その中で大江さんは自分の住む今のニューヨークの現状を語っていた。「もう知らない間に感染して治ってを繰り返しているのかもしれないですね」。オミクロン株が猛威を振るう今のニューヨークではこんな会話が人々の間で交わされているという。そんな状況の中で大江さんは感染を覚悟でライブもやることに決めている。多くのニューヨーカーと同様にコロナとの並走を納得して選んだのだ。不安が全くないと言ったら嘘になるが、今はただ朝元気に目覚められることだけで幸せを感じると言う。「目を覚ませば、今日も古ぼけたアパートに朝の光が差し込み、鳥がさえずり、僕はコーヒーをいれる」。コロナ禍にあっては誰もが究極の幸せに気づかずにはいられないようだ。

  一方で、自分が住む場所ではどうだろうかと観察してみると、皆いたって普通に暮らしている。土日などは街に人が戻ってきていて、飲食店の店先には行列ができている。その行列もソーシャルディスタンスなどどこ吹く風で密になっている。もう今では馬鹿みたいに?神経質になる人はいないようだ。人々にこれ以上の我慢を強いることはもう限界なのだと察する。2年余りも緊張状態に置かれるとどうにかなってしまいそうで、気持ち的に無理なのだと実感する。

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