人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

土鍋で炊くご飯とサバイバル

今週のお題「鍋」

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なぜ土鍋でご飯を炊くの?

 最近、というよりも、コロナが流行る前から新聞や雑誌で「土鍋で炊くご飯が美味しい」と言われてきました。「一度やってみたら、病みつきになって、もう炊飯器には戻れない」らしいのです。そんなことを言われても、めんどくさがり屋の私には馬耳東風です。今使っている炊飯器に不満はないからです。いつでもスイッチを押せば美味しいごはんを炊いてくれる炊飯器があるのに、どうしてわざわざ土鍋を使わなければならないのか。どう考えてもさっぱりわかりません。きっと土鍋でご飯を炊いている人は何かのきっかけがあったのでしょう。友達の家に行ったら、偶然その人が「ご飯を土鍋で炊く派」だったとか、あるいは、炊飯器が突然壊れて、仕方なく鍋でご飯を炊くことになったとか。そんなハプニングでもない限り、こんな便利な時代にご飯を鍋で炊くなどという、原始的な行為はなかなか思いつかないと思うのです。それでも、敢えてこだわって土鍋で美味しいご飯を炊き、密かに楽しむことはお金のかからない贅沢のひとつと言えるのかもしれません。

鍋でご飯が炊けますか?

 考えてみたら、子供の頃、田舎ではかまどで藁を燃やしてご飯を炊いていました。もちろん電気もガスもあったのにです。当時はそのご飯が美味しかったのかどうかなんて、もう記憶には残っていません。それよりも、ガスも電気も使わなくても、ちゃんとご飯が炊けたのだということを思い出したのです。最近は大雨による災害が多くて、沢山の方々が不自由な思いをされました。地震だっていつ起こるかわからないのです。だから、そんな時を乗り切るサバイバル術として「鍋でご飯が炊ける」ことが大切なのだそうです。カセットコンロがあれば暖かいご飯が食べられるのです。

 「鍋でご飯が炊けますか」と聞かれたら、最近はやったことがないので「たぶん」としか答えられません。ただ、子供の頃にお米の水加減は祖母から教えてもらったのを今でも覚えています。手のひらをお米の上に乗せたら、手首の関節のところまで水を入れればいい、確かそんなことだったような・・・。

炊飯器を捨てる人がいるとは

 実を言うと、家の炊飯器はもう10年以上も酷使しているのに、まだまだ健在で有難い存在です。そんな炊飯器と別れるなんてことは考えたこともありません。しかし、驚くべきことにあんな便利な物を捨ててしまう人もいるのです。世にいうミニマリストと言われる人たちです。彼らは基本的に最小限のもので暮らしたいと願い、「もう、僕らに物は要らない」と宣言しているのです。炊飯器が無くても困らない、鍋で立派に代用できると言う考えからです。人はその暮らしに慣れてしまえば、結果的に何も困らないらしいです。「何にもない部屋にいると、なんだか幸せを感じるのです」とまで言い切るのです。

 テレビでよく紹介されている100円ショップの便利グッズは「あったらいいな」です。でも「あったらいいな」は「なくても困らない」と解釈したほうがよさそうです。やたら感心して言われるままに買っていたら、あっという間に便利グッズの山ができてしまうからです。それにコロナ禍で誰もが暇になった、というか、たっぷりの時間ができたのです。時間があるのですから、そんなに便利を追求しなくてもいいのではと思えてきます。それより「今あるもので工夫して何とかする」ことに無い知恵を絞り、それを楽しんでしまうことに意味があるのでは。

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