人生は旅

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鍋を囲む忘年会は過去のもの?

今週のお題「鍋」

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忘年会は過去のものに?

 だんだんと本格的な冬が迫ってくると、いつもなら忘年会のことをふと考えてしまいます。居酒屋でみんなで鍋を囲み、上司の悪口や仕事の愚痴をグダグダと言い合って笑い飛ばすのです。でも今年はコロナ禍で無理そうなので、やはりオンライン飲み会で我慢するしかなさそうです。街を歩くと「忘年会予約承ります」などというビラがあちこちで目につく、そんな風景は過去のものになりつつあります。本音はパソコンの前ではなく、じかに会って無駄話をしたいのです。最近はスーパーでだって、「おしゃべりは最低限でお願いします」と店内のアナウンスに自粛を促される始末なのです。知り合いに会っても会釈だけで済ませているので、どうでもいい話をしてみたいという欲求が募るばかりです。

 そう言えば、以前は人に会うと、今日は暑いだの寒いだのと挨拶をしていた気がしますが、今はそんな無駄な話をする人は誰もいません。「おしゃべりは控えめに」という心のブレーキが働くからです。立ち話という言葉も消滅の危機にあるのかもと思うのは私だけでしょうか。面と向かってどこかの別の場所でするような中身のある話ではありません。たわいないことを言いあっていたら、それが結果的に気分転換になって気分が良くなった、それだけのことです。

鍋がコミュニケーションに欠かせないのは

 失ってみて初めてその良さに気づくことは多々ありますが、忘年会の鍋料理もその一つではないかと思うのです。特に会社の忘年会については、無くてもいいかなあ、と心の中で思っていたのです。でも考えてみると、仕事以外では話す機会もない人達とコミュニケーションをとるいい機会だったのかもしれません。自分の目の前にちょうど鍋が置かれていたら、みんなの分を取り分けてあげて、話しかけるチャンスです。一人で食べる料理よりもめんどくさいと言えば、確かに面倒ですよね。でもその面倒なところが逆に鍋の効用だともいえるのです。苦手だなあと感じる人や厳しすぎて怖いとばかり思っていた人にも、実は意外な面があるのを発見できます。

 例えば、仕事でたまに一緒になる男性は、仕事はできるのですがいつも威張っていました。みんなから「あの人は怖い」というイメージを持たれていて、敬遠されていたのです。とても気さくに話しかけられるような雰囲気ではないので、世間話などしたこともありませんでした。ところが、噂によるとアルバイトの女の子に交際を迫られて付き合うことになり、あろうことか二人の仲はうまく行っていて結婚するかもとのこと。

彼女の涙を見たら

 自分よりずうっと年上の男性に告白するなんて、当時マスコミで話題になっていた「肉食系女子」の代表です。その女の子に言わせると、「彼は全然怖くない、優しいところもある」らしいのですが、彼女の言葉を鵜呑みにはできませんでした。忘年会で偶然彼氏の隣の席に座ることになりました。思い切って結婚のことを聞いてみると、喜んでこれからの予定を話してくれました。彼女はディズニーランドのホテルで結婚式をするのが子供のころからの夢だった。費用が高すぎるので諦めるように説得したら泣かれてしまった。彼女の涙を見たらとても「ダメだ」とは言えない。だから彼女の望み通りの結婚式をすることに決めた、と言うのです。「この人って、こんな人だっけ?」と彼の意外な面を知って驚いた記憶があります。人は不思議なことに見かけや態度だけではわからないものなのです。

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