今週のお題「試験の思い出」
”死ぬの生きるの”のレベルじゃないのに
まだ若かった頃、これから必要な資格だからと勧められて、マイクロソフトの資格試験を受けました。今ではその正式な名前も忘れてしまい、やっとのことで貰った資格証もどこかに行ってしまいました。それくらい今から思えば、「あれっていったい何だったの?」と考え込んでしまうような、訳の分からない資格でした。それでも当時はそれがあれば、今のダメな自分から抜け出せるとか、あるいは、自分は変われるはずだと思い込んでいたのです。
それで私は受験の準備のために予備校を探しました。当時はパソコンに関する知識や操作を取得するためのスクールは駅前に溢れるほどありましたし、また資格試験のノウハウを教えてくれる予備校も数は少ないながらも見つけることができました。その予備校は、というより養成所のような小規模なスクールで、場所はマンションの一室でした。経営者は中年の夫婦で、その夫は皆から所長と呼ばれていました。今から思えば、家族経営でアットホームな感じがなんだか良さそうに見えたのかもしれません。
私はすぐに講座を申し込むことに決めました。その時いくら払ったかなんてもう記憶の彼方で、覚えていないし、また思い出そうとするなんてことは時間の無駄です。とにかく資格試験を受けるために、講義を受けて知識を頭に詰め込まなければなりません。教室で講師の先生から話を聞いている時にあろうことか居眠りをしてしまったことがありました。その時、先生から「あなたは疲れていて、ヘロヘロなのね」と揶揄されてしまいました。後日所長から聞いた話ではその先生はシングルマザーで、記憶力抜群な人なのだとか。「うちの○○(先生の名前)は前回の試験の問題と答えをすべて覚えているのですよ」とたいそう自慢していました。
講座を受けに来る人にはいろんな人がいて、彼らのうちの何人かは人知れず悩みを抱えていました。例えば、ある30代らしき女性は派遣社員で商社で仕事をしていました。でも自分の立場では仕事ができて当たり前で、できないなんてことは口が裂けても言えなかったのです。たとえいくら自分が努力して頑張ってもそれで何らかの評価が得られるなんてことはあり得ない、それが普通で、周りから感謝されるだなんてことは望むべきもありませんでした。彼女はそんなことはもちろん承知していましたが、それでも辛いのだと弱音を吐いていました。
私の場合はそんな複雑な事情などなかったのですが、未知の知識をギュウギュウと詰め込まなければならないのに窮していたのです。理屈ではわからなくても、そんなことは気にせずとにかく覚えるように言われます。試験はパソコンで行われ、問題は択一式で正解を選べばいいだけのことでした。講座の最後は練習問題を散々やらされて、そのうち記憶力が甚だしく悪い私でも答えを覚えてしまいました。何回も講座を受けていても、誰とも知り会う機会がありません。でもある日、「うちの会社は八百屋なんですよ。全然自分の仕事とは関係ないんですけど、でもちょっと興味があるじゃないですか。だから試験を受けようかと思ったんです」と気軽に話してくれる”彼女”と知り合ったんです。
たしか所長は「○○(彼女の苗字)さんは前回は不合格だったんだよね。今度は頑張ってね」と彼女を励ましました。彼女も「今度は大丈夫だと思います」と明るく答えていました。私は彼女を羨ましく思いました。何がかと言うと、力が変に入っていない屈託のない明るさが私には眩しかったから。さて、試験本番の日になりました。案の定私ときたら、緊張のあまりピリピリしていました。この試験で、まさか死ぬの生きるのといった運命が待っているわけでもないのに、どうしてあんなにカチコチになっていたのか、今から思うとなんと小心者なのでしょう。
一方の彼女はいつもの自然体でふんわりとした雰囲気を醸し出していました。頭の中が試験のことではち切れんばかりになっている私に、「飴、食べる?」と微笑みかけてくれました。その一言で私はなんだか緊張が少し溶けた気がしたのです。彼女に貰った飴を口の中にポイっと放り込んだら、なんだかほっとした気分になれました。
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