人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

40代以上の20人にひとりは緑内障

他人事じゃない、私も予備軍かも

 今月の初めに右目の周りがズキズキするので、眼科を受診したと以前のブログで書いた。あれからすでに3週間以上たったが、未だに治療中で、あまりにも眼の奥の炎症が強かったせいでやむを得ない。先生によると、一時的によくなっても、急に目薬をやめてしまうと、ぶり返すこともあると言う。そうなったら、何年も目薬を差し続けなければならない。なので、最初の受診から1週間経った時、次は3週間後に来るように言われた。現在は一日3回の目薬を忘れないようにするのが精いっぱいだ。おでこのズキズキと顔の右半分の腫れが無くなると、とたんに油断して、ついつい目薬のことが頭から消えてしまう。そのことに気付くのはいつも夜寝る前で、万事休すだ。薬局から貰った目薬の入った袋をメモ代わりにして、日にちと時間を書いて、チエックしているしている。

 ところで、薬局の人はなぜ、薬を手渡すとき、「どうなさったのですか」と聞くのだろうか。医者でもないのに、どうしていちいち、自分の今の症状を話さなければならないのか。そう思うのは私だけではないようで、エッセイストの岸本葉子さんも以前日経新聞の夕刊連載『人生後半初めまして』で、そこら辺の事情を詳しく書いていた。それによると、要するに、薬剤師は自分が処方する薬の依頼主に対して責任があるということなのだ。彼らはもちろん、ロボットなんかではなくて、人間なのだから、気にして当然と言うこと。いわば、職務質問みたいなものなのだから、それを鬱陶しいなどとは思わないようにしたい、と綴っていた。

 今回、薬剤師さんは何度も来局する私に、「どうですか、少しはよくなりましたか」と聞いてくれる。薬局によっては応対は様々だが、ここの薬局は自分のことを気にかけてくれているのではないかとさえ思った。まあ、それを、思いやりと受け取るか、あるいは、余計なことと感じるかは人それぞれだが。薬局にいる薬剤師はただの店員とは違うのだと今更ながら気づいた。

 おそらく10年ぶりに眼科に行って、名前を呼ばれるまで待合室で待っていたら、新しい発見があった。それは母親と眼鏡屋さんとの会話で、「この子、メガネを持っているのに、全然かけないんですよ」と母親が嘆いていた。そう言われた眼鏡屋さんの男性は、「どうやら、今の子はあまり見えすぎるのが嫌なんですよ。だから、はっきり見えすぎないで、かつ日常生活に困らない程度に見えるメガネがいいんです。それが難しいんですけどね」と即答し、さすが、子供の心がわかっているようだ。私が仰天したのは、母親の「この子、平気で自転車とかに乗ってるんです。たいして見えないのに」との発言で、とたんに子供というものがわけわからん存在に思えてきた。

 さて、私は久方ぶりの眼科検診で、予期せぬ事実を突き付けられた。眼底検査の結果によると、私の左目の神経は通常よりも薄くなっているという。左目と言っても、下半分の神経が薄くなっており、そうなると、左目の上の部分が見えないと言うことを意味する。つまり、近い将来において、視野が欠ける可能性があり、それは名前だけは聞いたことがある緑内障という病気だった。現在においては、緑内障は目薬で進行を抑えるしか治療法がないそうで、私の知人もその病気らしい。先生によると、自覚症状が全くないまま進行し、気づいた時には、すでに視野の半分が欠けている状態というから恐ろしい。私の場合は、今のところは問題ないが、最悪の事態を避けるためには、半年に一度の定期検診が必須だと念を押された。

 いやはや、最近はとんと眼科と縁がなかったが、思わぬことで目を覚まされた。正直言って、あまり愉快な話でない。緑内障は自分には関係ない病気だと他人事のように思っていたが、突然身近になった。特に、先生の「40代以上の20人にひとりは緑内障なのですよ」という発言には仰天させられた。となると、その病気に罹っているほとんどの人は口に出さないが、緑内障で秘かに目薬を常用しているのだ。

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