人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

はがきの名文コンクールに想う

今週のお題「あったか~い」

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思うようにさせてあげようかねえ、に込められた想いとは

 今年の春ごろ募集していた「はがきの名文コンクール」の受賞者が決まったことを昨日の新聞で知りました。テーマは「一言の願い」で、これまで自分が書けるテーマなら応募してきた私は早速書こうとしました。でも願いと言っても思い浮かぶのは、自分勝手な、コロナが終息したら海外旅行に行きたいだの、親戚の誰彼が健康で長生きできますようになどといった、他人から見たら利己的なことでしかありません。でもそれが今の本音なのですから仕方ないのですが、考えてみるとそれくらいしか浮かばないのは幸せな証拠なのかもしれません。そう思ったのは、大賞に選ばれたのがまさに切実な願いを綴ったはがきだったからです。

 作者は99歳の義母を介護している74歳の出山月惠さんという女性でした。文面によると、姑さんはデイサービスを利用しながら、なんと一人暮らしをしているのです。出山さんと娘さんはそこに通ってお世話をしています。寝室から台所までの距離をまるで軍隊の行進のように「イチニ」「イチニ」と声をかけて3人で進んでいきます。なぜ声をかけるかというと足並みを揃えないと転んでしまうからだそうです。義母がひとり暮らしなのは本人の希望で、施設に入ろうかというと話も出たのですが、本人が嫌だというので却下しました。食後には食卓で君が代を歌うのが日課という明るい性格のお婆さんなのです。でもふと、「私一人死んでいても誰も悪うないけんね」などと言われると、切なくて可哀そうになってしまいます。そして最後に「あなたの人生が幸せだったと言えるように願っています」とあり、「さあ、今日も軍団も頑張るぞ」の言葉で文面は終わっています。

 このはがきを読んだら、「人生100年時代」などという言葉が吹き飛びました。政府やマスコミが散々煽り立てていますが、そして浅薄な私なども浮かれていましたが、現実はこのはがきの通りなのかもしれません。99歳まで生きることは、本人はもちろん周りの人間も大変です。若い時の準備で老後は変わるとか、すべて自己責任のように言われていますが、年を取ったら身体も老いるのは当たり前のことです。「自分だけはあんな風にならないようにしよう」などと思っていても、こればかりはどうなるかわかりません。元気でなければ幸せじゃないなどと決めつけてはいけないのです。パーフェクトを求めないことが大切で、自分の気持ちに折り合いをつけて自分なりの幸せを見つけて行くことが大事なのです。

 以前風邪をひいたときにかかりつけの医院に見てもらいに行きました。ドアを開けて中に入ると、ひとりの老婦人がソファに座って雑誌を読んでいました。私はその人と少し間を空けて座りました。ほどなくして、その人は名前を呼ばれて診察室に入って行きました。あとで、先生から「あの人はああ見えて、もう90歳なんだよ」と言われて仰天してしまったのです。その時の私の頭の中では、90歳のイメージはヨボヨボ、で誰かが支えてあげなければ歩けないような人でした。でも私が見たあの人は普通で、付き添いなど必要なさそうでした。今なら、どうしてもノーベル賞を受賞した真鍋叔郎先生を思い浮かべてしまいます。あの方は情熱を持って生きておられる方ですから凡人とは比較にならないかもしれませんが。

 出山さんの話に戻ると、お姑さんは「お世話をしていて、腹が立つことがない」人のようです。そうは言っても、実際は高齢者の介護は壮絶で過酷であることは間違いありません。それでも「本人の思うようにさせてあげましょうかねえ」と受け入れて寛容な心でお姑さんに接しています。はがきの読み手である私はそんな出山さんの優しさになんだか救われた気がしました。だんだんと冬の足音が近づいてきたこの季節に、ふわっとした暖かさを感じたからです。出山さんの「一言の願い」はお姑さんが日々幸せを感じて過ごせますように」との切実な願いでした。

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