人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

終活とは無縁だった叔母

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▲現地の秋の4月にはパタゴニアの森が紅葉で赤く染まった。NHKまいにちスペイン語5月号から。

叔母は世の中でブームになっている終活とは無縁だった

 最近になって、町中に少し変化の兆しが見えてきました。毎朝散歩に行くと、通り道にあるカフェにいつも二人の男性が開店時間を待っていました。必ず一番のりの初老の男性はリユックを背負ったままスマホを凝視しています。もうひとりは中年の男性でピンクのリュックを前にかけてひたすら文庫本を読んでいます。あまりにも毎日のように会うのでその姿をしっかりと記憶していて、どこかで偶然見かけてもはっきりわかると思うほどなのです。その二人がお盆を過ぎた頃から姿が見えないのです。テレビで第3波だの4波だのと騒いでいても何食わぬ顔でいたはずなのにいったいどうしたのか。マスコミの報道に恐れをなしたのか、あるいはもしかしてコロナ感染してしまったのか、などとある事ない事勝手に想像してしまいます。またその店がコロナが流行り出してから、一度も休業することなく営業を続けているのにも驚かされます。

 さて、私はと言えば、叔母の突然の死を受け入れられず、散歩をしていても以前の叔母との会話が頭にふと浮かんできます。叔母と最後に会ったのは今年の正月でした。実はあの時コロナの感染者が急に増えたので恐れをなしたのか、「もうこちらに来ない方がいいよ」と言われていたのでした。それなのに反対を押し切って行ってしまいました。今から思えば行って正解だったのですが、珍しく自分の部屋を見せてくれました。いつもは息子の家族が住んでいる母屋にしか上がったことはないのですが、その時はなぜか自分の生活している場所を見せてくれたのです。

 自分の部屋、叔母が誰にも邪魔されず自由に過ごせるお城ともいえる場所はかつて経営していた合板会社の事務所の2階でした。外階段を昇らなければならないので、年寄りにはきつすぎると思うのですが叔母は気にもしていませんでした。部屋に入ってみると、そこは雑然としていて、驚くべきことまだ昔のままで事務机まで置かれていました。その机が2つもあるおかげで十分なスペースがあるはずの部屋はピアノもあるせいかまるでけもの道のようでした。何とかして応接セットにたどり着いて腰を下ろしました。その時気づいたのです、叔母は世間の年寄よりとは違ってまだ店じまいするつもりは到底ないのだということを。

 つまり、「自分の人生に片をつける」などということは露ほども頭の片隅になかったのです。結末を見据えて後ろ向きに生きるということ、後で周りに迷惑をかけないようにするなんていうつまらないことは考えてはいませんでした。常に前へ前へで、気に障る事を言われても気にする素振りも見せず、「あの人はなんて人なの!」と呆れられるほどだと話していました。誰にでも優しい人やいい人にならなくてもいいのではないでしょうか。「好きなように生きる」ということは人にどう思われるかを気にしていてはできないことなのです。

 そんな生きようというエネルギーに溢れていた叔母でもコロナで自粛を迫られたときはだいぶ参っていたようでした。自分で車を運転して句会に行ったり、コーラスの活動で老人ホーム慰問したりといった自由が奪われてしまったからでした。人と付き合って毎日を送っていた生活が一変し、手紙にも「もうダメ!」と弱気なことが書いてあってびっくりしました。だから、叔母の最大の願いは一日も早くワクチンを打ちたいということでした。予想に反してワクチンを打つ機会はなかなかやってきませんでしたが、しびれを切らしたのか句会が開かれるようになりました。するとメールがこなくなったので、忙しくなったのだと解釈しました。元気でいるものだとばかり思っていて、久しぶりにメールしてみたのです。そしたら、「今入院してるの。コロナだから会えないよ」と返って

 葬儀に行って親戚の人から、84回目の誕生日に「もう来年は生きてないと思う!」との衝撃発言をしていたことを聞きました。それを聞いた時はまさに青天の霹靂で雷に打たれたようになりました。叔母の誕生日は2月4日で正月に会ってから1カ月しか経っていません。その間に何が起こったのか、コロナが叔母の精神状態に何らかの影を落としたのは間違いありません。自粛生活はあんなしっかりした心の持ち主をも変えてしまうのです。その後は「病は気から」を証明するかのように食べ物が喉を通らなくなりました。親戚のクリニックで血液検査をしてガンではないと判明したのに、それでも食べられなくて、ガリガリに痩せてしまいました。

 「理想の老後はひとりで自由に」をできるだけ長く実践して欲しかったと思います。私よりスタスタ歩き、まるで老人であることを忘れさせてくれるような見た目だった叔母、年寄り扱いされるのが大嫌いでした。どんな元気な人でも人は必ず死ぬのですね。苦痛とは無縁だと勝手に思い込んでいた叔母の死も例外ではありませんでした。

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