人生は旅

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頂き物のお返し、どうする

頂き物をすると、お返しをしないではいられない?

 日本経済新聞の土曜版には、「悩みの扉」という人生相談のコーナーがある。各界からの著名人が回答者なのだが、先日は著述家の湯山玲子さんだった。今まで、湯山さんんの回答を拝見していると、とてもユニークで、かつ、弱音を吐いているおじさんには𠮟咤激励のためだろうか、活を入れているのがこちらにも伝わってくる。また、その活の入れ方が優しさに包まれているというか、まるで応援団のようにも感じられて、とても好感を抱いていた。

 その湯山さんが、今回は「お返しを考えるのがストレス」という神奈川県の50代女性の悩みに回答していた。『頂き物をもらうと、お返しをしないではいられない。これは民族、宗教、土地柄を問わず、人間普遍の心理状態』だとし、まさに相談者の悩みと同じで、同感だという。だが、ここから湯山さんは違った。要するに、そのお返しを何にするかで、悩むのではなく、逆に楽しんでしまったらどうかと提案したのだ。お返しをする相手のことを頭に思い浮かべて、お返しを選べば、もしかしたら、相手がそれを気に入ってくれて、これまでとは違った良い交友関係が築けるのでないかという、前向きな発想からきているのだ。実に湯山さんらしい。悩みも暗く考えれば、それまでだが、明るい面だけを見つめれば、それなりに気持ちだけでも前を向くことができる。所詮、一人では人は生きてはいけない。たいして深く付き合っていなくても、表面上だけでも風通しの良い関係を作ることは日常生活を送るうえで必須だ。

 大体が、頂き物というのは、社交辞令のようなものだが、ある意味潤滑油のような役割を果たしていると思う。例えば、田舎からりんごが箱いっぱいに送られてきたとする。数えてみたら、24個もある。となると、自分の家族だけではとても食べ切れない。それで、ご近所のお宅に、もしかしたら、このさき迷惑を掛けたり、お世話になるかもしれない両隣りはもちろん、ゴミ出しの時などによく井戸端会議をする人たちにあげたらどうだろうかと考える、のは普通だ。大勢にあげなければならないから、どう見ても一軒当たり、2個ぐらいになる。こう言った機会でもなければ、玄関のベルを押し、面と向かって話をするなんてことは皆無だ。顔は知っていても、道であったりして、挨拶だけの人もいれば、少し立ち話をする程度で、家庭の事情などあまり知らない。それに、あまり長く話し込むと、決まって人の悪口になるので要注意だ。

 田舎から送ってきたりんごを配った後、それぞれの人たちの反応を見るのが面白い。無袋で育てた、少しそばかすのあるようなりんごだが、包丁で半分に切ってみると、果肉全体に蜜の網目が貼り巡らされているのがわかる。なんとも、見るからに甘くておいしそうで、口の中が生唾でいっぱいになる。これを食べると、もうスーパーのりんごは食べられない。実際に送ってくるのはランクがそんなにいいものではないが、最高級の物だとメロンに匹敵する味わいだというから素晴らしい。もっとも、酸っぱいのが苦手な私は果物をスーパーで自ら買うことはないのだが。

 さて、人々の反応で実に興味深いのは、無反応な人もいれば、すぐに反応が返ってきて、興奮気味に、美味しかった!と喜ぶひとがいることだ。話を聞いてみると、果物が好きで、特にりんごは大好きでとなり、お返しを頂くことが多い。その際に少し世間話もできるので、少しの間交流の時間が持てて、今までよりは距離が縮まったようにも感じる。そして、頂き物を貰った私が、その袋を開けてみると、それは虎屋の羊羹だった。早速、お茶と一緒に頂くと、想像した通りとても美味しい。単純に感激した私は羊羹のことをずうっと覚えていて、今度は自分がそれに匹敵した何かをその相手にあげようと考える。余りものではなくて、家で食べ切れないからではなくて、何か美味しいもので、今すぐでなくて構わない、そう言ったものに出会うその時が来たら、実行しようと思うのだ。そういうような、後を引く頂き物も滅多にはないが、あるにはある。

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