人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

行く,行った、行ってしまった

今週のお題「読書の秋」

f:id:mikonacolon:20211027155040j:plain

ピレネー山脈にあるゴーブ湖は標高1725mの氷河湖NHKまいにちフランス語テキストから。

他人事が自分事になったとき、何かが変わっていく

 タイトルのジェニー・エルペンベック著「行く、行った、行ってしまった」は私がこれから読みたいと思ってしまった本です。たぶん、毎日のアフガン難民の報道に触発されて、そんなことを感じたのでしょう。この本のことを知ったのは先日のある新聞の読書欄でした。毎週このコーナーを楽しみにしているのは、自分の読書の羅針盤のようなものだからです。本屋で目的もなく、やみくもに読みたい本を探し、自分勝手に想像して買うのは、やはり失敗する確率が多いのです。

 この本の舞台はドイツ、主人公は古典文献学の教授リヒャルトで、彼は大学を定年退職したばかりです。実は彼は妻に死なれ、愛人にも裏切られて、孤独な一人暮らしでした。ある日、難民たちが掲げた「我々は目に見える存在になる」というプラカードを偶然目にしました。すると、今まで遠い存在だった彼らのことを知りたいと思ってしまうのです。彼は近くの施設に収容された難民たちを訪ねて、インタビューすることにしました。難民たちの経験は、想像を絶するほど過酷で、「人生が狂ってしまった」と嘆く人々に掛ける言葉が見つかりませんでした。そんな精神を病む人も出てきて当然の修羅場を潜り抜けて、生き抜いてきた彼らとリヒャルトは交流するようになります。ドイツ語を教えたり、家に招いたりしているうちに、彼らはしだいに彼の友人になっていくのです。新聞に載っていた書評によると、本の内容はこんな感じです。

 リヒャルトにとって以前は難民の苦難は他人事でした。彼らと付き合って、彼らの思いを知ることによって、もはや他人事ではなくて、彼らの抱えている問題は自分事になったのでした。実際、本を手に取って読んでみたら、どうしてそうなったのか理由がわかるはず、その過程はきっと楽しいだろうなあと想像したら、たまらなくこの本「行く、行った、行ってしまった」が読みたくなりました。でも、現実にはまだ買ってはいません。なぜなのか、それには問題が二つほどあるのです。一つ目はこの本の値段が3630円と恐ろしく高いことです。税込みだと4千円もするからです。二つ目は近所の本屋にはなくて、都心の大型書店に行かないと置いていないことです。それから、恥ずかしながら、正直なところ、こんなに長い物語を読める自信がないのです。まあ、面白ければ、そんな悩みなどどこ吹く風なのですが・・・。

 リヒャルトが知らない世界だった、難民の社会に足を踏み入れたように、私にも以前貴重な経験をしたことがありました。それは自分が社会の一員であると言う事実に気づかされたある出来事でした。2~3年前にある日突然、家の近くにある街燈が夜になってもつかなくなりました。街燈は点いていて当たり前で、夜も辺りは明るくて当たり前でした。街燈が一つでも点かないと、薄暗くて、なんだか気味が悪くて、落ち着かないものなのだと初めて知りました。田舎のように真っ暗なのが普通ならまだしも、家の近所はそんなわけにはいかないし、そんな状況に慣れていないのです。

 そんな状況で私の頭に浮かんだのは「きっと誰かがすぐに市役所に通報してくれるだろう」ということでした。夜になって暗くて不便なこの困った状況を、我慢したまま黙って放置するわけがないと信じていたのです。私はその誰かが、行動してくれることをじっと待っていました。ところが、2週間過ぎても、街灯は暗いままでした。それで、私はもう待つのをやめて、市役所の土木課に電話しました。その時係りの人に言われたのは「あなたの前にも一人その件で電話がありました」とのこと。たった一人だけ!と仰天し、皆それだけ自分の事に夢中で地域のことに無関心なのだと痛感しました。

 係りの人は「すぐに取り替えたいのだけれど、トウがないから少し待ってください」というのです。「トウ」とは何なのか訳が分からなかったのですが、それは街燈の種類のことで、同じデザインのものがないだけのことでした。それでも気を聞かせてくれたのか、翌日には別のタイプの街燈がちゃんと取り付けられていました。現在の街燈はLED仕様だそうで、当分切れることはなさそうです。あの時の街燈の件は些細なことです。でも、人はもし自分の生活がすこしでも脅かされるようなことがあったら、きっと躊躇なく立ち上がれると思うのです。

mikonacolon