人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

さよなら私の故郷、私の部屋

今週のお題「〇〇からの卒業」

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なぜ東京に逃げ出したのか

 私は若い頃、家出同然で東京に行ったことがあります。なぜかというと、田舎の閉そく感に嫌気がさしていたからです。このまま家に居たら、自分はどうなるのか容易に想像できてしまう。そこにある自分の未来は耐えがたいものだったからです。田舎のしきたり、人々の目が鬱陶しくて、とうてい受け入れがたかった。だから逃げるしかない。ではどこへ逃げたらいいのか。どうせなら、東京に行ってみたらどうだろう。でも向こうには知り合いがいないのにどうするの?あ、そう言えば、ひとり居た。以前仕事で知り合った女性が横浜に住んでいたのを思い出した。何かの用事のついでに寄ったふりをして、尋ねてみようと思った。何も知らない彼女は歓迎してくれて、その日は狭い市営住宅にも関わらず、自分の部屋に私を泊めてくれた。

 そんな風にして私の東京での日々が始まりました。今にして思えば、どうしてあんなに安穏な生活を捨てられたのか。でもあの時はそうするしかなかったのです。まだ世の中の成功のルールが決まっていて、誰もがそれを信じて疑わなかった時代です。何も敢えて冒険する必要などなかったのに、若気の至りなのか、常に変化を求めていたのです。つまり、田舎の退屈な毎日に飽き飽きして、先が見えている自分の未来に失望しかなかったのです。だから、東京という街に魅力的なイメージを抱いていましたが、それは漠然としたものでしかありません。。とにかく、東京に行けば何となるだろうとしか思っていなかったですから呆れてしまいます。

 あの頃は自分の部屋が気に入っていたし、家族と仲が悪かったわけでもなかった。なのに変化を求めていたなんて、今の状況と違いすぎることに苦笑するしかない。大人、いいえ、ほとんどの人は変化を嫌う。それは今のままの方が楽だから、変化に対応するにはエネルギーがいるから面倒なのだ。それに未知のものに対する恐れや不安でいっぱいになるのだ。コロナ前の私もそのうちのひとりだった。でも当時の私が求める変化と言うのは、一条の希望であって、自分により良い未来を与えてくれるものだったに違いない。だから軽率で思慮分別がない私は、そこに留まって自分にふさわしい幸せを探ろうという気にはならなかったのだ。自分の今いる場所で満足するという選択肢があったことも事実なのだと今だからこそ思えてくる。

 モンゴメリーの『赤毛のアン』シリーズを読むと、プリンスエドワード島に住む人々が自分たちの暮らしに満足しているのがよくわかる。その中でも、幼馴染同志が三十年の時を経て晴れて結婚するというエピソードには仰天してしまった。若い頃恋人同士だった二人はある時些細なことで口げんかをした。そしてそれ以来ふたりは口を利かなくなったらしい。でも小さな町だから、嫌でも顔をあわせることになる。それでも二人は意地を張って互いに歩み寄ろうとはしなかった。喧嘩をしている間も、二人ともそれぞれの仕事に精を出し、自分の信念にしたがって暮らしていたのだ。ところが、ある日嘘のように誤解が解けて、二人は元の恋人同士に戻って互いの愛を確認しあった。つまり、二人は長い年月の間も互いを想いあっていたわけで、なかなか感動的な話だと思う。

 さて、何年か経って地元に戻ってみると、その変化に驚き、昔はそこにあったものがないことに嘆いたりもしました。懐かしさと寂しさの入り混じった、複雑な気持ちに襲われて、自分から去ったはずなのにと困惑したのです。久しぶりに会った旧友が地元でちゃんと幸せに暮らしているのを見て、なんだか眩しく感じたこともありました。考えてみると、自分の中に変化を起こそうと思ったら外に行かなくてもできるです。それも今の時代だからこそ余計にできてしまう、便利な世の中になったものです。これからは文明の利器を最大限に利用することで、生きて行くために必要なエネルギーを貰うのもひとつの生き方と言えるでしょう。

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