人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

大事にしたい排泄の習慣

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

病院に行って初めて、排泄の大切さに気付く

 私は毎日、早朝散歩の後、ブログを書いて、トイレ掃除をし、台所と廊下の床拭きをしている。そのパターンはもはや習慣化され、私のその日の気分に左右されることなく行われている。朝目覚めて、頭が痛いだの、もう少し眠りたいだのと思ったところで、身体が勝手に動いて、四の五の言わせない。考えてみると、この習慣は、もう忘れかけてはいるが、あの忌まわしいコロナ禍を生き延びるために、強制的に自分に課したミッションだった。あの先行き不透明な時間を生き延びるのには、何かやるべきことが必要だった。できれば、毎日できて、何も考える必要がなくて、身体を動かすような一連の流れのようなもの。特に、新しい一日を始めるのに、心と体に効く行動パターンであれば、何でもよかった。何か安心材料になるようなものが欲しかった。暗闇の中を生きてはいても、自分は今日もこれをやったから大丈夫と言えるようなものが欲しかった。

 それが、たいして重要なことでなくても構わない、ただの散歩と、どうしようもない駄文の書き殴りと、雑巾がけであったとしても、私にはその日を生きるよすがだった。要するに、大げさな言い方かもしれないが、それらはもう、生きがいともいえるものだった。早朝の散歩は、まだ暗いうちから起き出して、それまでの私からしたら、冗談じゃない、とも思えるものだったが、仕方がなかった。折も折、世の中は花見の季節で、普通の時間に散歩に行けば、人込みを避けられない。それで、1時間、いや2時間も早く家を飛び出すことになった。すると、どうだろう、爽快という言葉はあの時のために存在したと言っても過言ではない。滅茶苦茶に気持ちがよくて、何か得をしたような気になってきた。皆が知らない別世界を見ているような気がして、それまで生きて来て感じたことがない高揚感があった。

 身体だけでなく、心までも納得して、それが当たり前になっていた。コロナ禍にあっては身体に染みついた習慣をサボるだなんてことは恐ろしくて、できなかったが、コロナがひと段落したある日、気のゆるみが出た。その日はいつになく、眠くて、布団の中で、「今日ぐらいは朝寝をしてみたい」と思ってしまった。すると、もうひとりの自分が「一日くらい、サボったところで罰は当たらない」と囁いた。それで、朝寝を楽しんだつもりだったが、何のことはない、残念なことに後ろめたさしか感じなかった。なあ~んだ、ちっとも楽しくないではないかと、がっかりしたのを覚えている。いつもの習慣は間違いなく、私を上機嫌にさせている、そう確信した経験だった。

 だが、去年ちょっとした、と言いたいところだが、大問題に直面した。ある日突然、食べ物が食べられなくなった。食欲がないのではない。食べたい気持ちは満々なのに、なぜか身体が受け付けてくれない。胃がむかつき、胸焼けがして、食べ物が喉元を過ぎて行かない。飲み込むことができなくなった。頭の中を胃がんで亡くなった父親や、食道がんで命を落とした叔母の面影がちらついた。もしかしたら、私も彼等のような病気ではないだろうかと不安に震えた。だが、私にとって、病院の敷居は高く、すぐには行くことはできないし、できれば行きたくはないのだ。なので、少し様子を見ていたら、具合の悪いのには波があることが分かった。もっともお腹は空くので、食べられると油断して、この時とばかりに食べると、たちまち具合が悪くなった。信じられないだろうが、予定通り海外旅行にも行った。さすがに帰ってきてから、すぐに病院に飛んで行った。

 すると、初めて胃カメラというものをやることになった。医師の診断はただの胃炎で、胃がんでも、食道がんでもなくて、ほっと胸を撫でおろしたが、苦しい症状が改善されたわけではない。その後、2週間ほど薬を飲み続け、やっと何とか元通りになった。考えてみると、医師から便通のことを聞かれて、ちゃんと答えられなかった。要するに私は毎日の自分のやるべき習慣の事で頭がいっぱいで、排泄のことにまで考えが及ばなかった。例えば、今のようにブログを書いていて、身体がサインを送ってきても、無視していた。いつも後回しで、気づけば、いったいいつ、排泄したのかさえもわからなくなっていた。これでは後から、どっとツケが回ってくるのは当然だった。改めて排泄の習慣の大切さを実感する。なので、今は排泄の習慣を身につけるべく、日々努力しているところだ。

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