人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

日常の感動を俳句で表現したい

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「俳句は自由でいいんだ」と教えてくれたのは

 私は最近ふと思うのです、日常生活の中の感動を一瞬で言葉にできたら面白いのにと。感動と言っても、何も大それたことではなく、ちょっとした驚き、気づき、戸惑いなどで構わないのです。他人に話したら「それがどうしたの?」と呆れられることでもいいのです。何より自分がそう感じたらいい、素直に感じたまま五七五の17文字で表現できたら気持ちがいいだろうなあと想像してみるのです。今のところは俳句などという立派なものではないし、人に聞かせられるものでもありません。すれ違う人にわからないようにそっと小声でつぶやいてみるだけです。まずは17文字で言葉にしてみる、最初は目の前にある光景を見たまま言葉にするだけ、深い意味など含ませられるわけもないのです。今朝思いがけなく、たぶん卒業式なのでしょう、袴姿の女性を3人も見かけてました。舞い上がった私は思わず、美しい着物に遭遇した感動をそのまま、なんの変哲もない言葉で切り取ってみました。

 実は若い頃、句会を主宰している方と知り合いになって、やってみるように言われたのですが断りました。なぜなら、当時の私は俳句と言えば、芭蕉正岡子規などいう高尚な俳人を思い浮かべ、難しそうで、とても自分にはできそうもないと敬遠していたのです。考えてみれば、俳句は凝縮の文学で、わずか17文字から様々な情報が読み取れます。その句の上っ面だけ見ていてはだめで、その言葉に込められた状況や想いが理解できなければなりません。新聞の俳壇では一般の方からの投稿が載っていますが、その句を見ただけではさっぱり何を言っているのかわからない句も多々あります。解説を読んで「そうだったのか」と目から鱗で、自分の思慮のなさに落胆することもしばしばでです。

 そんな私の楽しみは俳壇の中から自分でも容易にわかる、あるいは共感できる句を見つけることです。例えば、ぷう~んと良い香りがしてくるのは大阪府の松岡広行さんの『デコポンと睨めっこする早起きは』で、選者評は「いいなあ、こんな起き方!」でした。柑橘の甘い匂いが寝室に漂い、まるで目覚まし時計のように人の鼻をくすぐり、気になって自然と起きてしまう。そんな幸福な朝があったなんて初めて知りました。ではこの句の作者はどんな人なのか、こんな瑞々しい感性の持ち主は何者と思ったら、なんと86歳の男性でした。素晴らしいです、お年を召しても感性は少年のままなのです。

 また、ある時はこんな物の捉え方、表現方法もあるのかと衝撃を受けてしまう句もあります。家の庭や近所にある木のほとんどが葉を落として、何か殺風景で物足りなく思っていました。そんな時、東京都の田村忠美さんの『裸木の腹筋胸筋光る朝』には仰天しました。気付きませんでした、全く考えもしませんでした、木にも筋肉があったなんて。『腹筋胸筋』という発想に脱帽し、表現の仕方は自由でいいし、無限大なのだと嬉しくなったのです。

 実を言うと、数年前に俳句というものの固定観念が覆るような体験をしました。それは新聞の「読書日記」に綴られていたある女性俳人のエッセイでした。聞いたことがない名前のその人は南フランスのニースに住み、毎日海岸を散歩するのを日課としていた。学生時代に二度も大病をして、その時に看病してくれ面倒を見てくれた男性がいて、いつしか自分の人生における伴侶になった。子供の頃から詩が大好きで、心の支えであり、毎晩眠るときは必ず詩を口ずさんだ。家には他に本と呼べるものがなかったので詩集を読むようになった。ある日いつものように海岸で詩を口ずさんでいたら、初老の男性が近づいてきて、「あなたの姿はまるで、映画の『華氏451度』のラストシーンのようだ」と言われてしまった。

 こんな風に謎めいたことを書かれると、どうしても気になってネットで検索してしまいました。それで、彼女が当時最も注目されている気鋭の俳人だとわかり、その人の俳句を見たら、「これが俳句なの?こんな自由でいいんだ!」と頭の中の俳句のイメージはズタズタに切り裂かれました。「こんなのありなの!」としか思えない、でも今にも音楽が聞こえてきそうな、耳に心地よく感じられる俳句。こういった俳句を自由律俳句というのだそうですが、古い俳句の概念を覆した斬新な試みでした。残念ながら、当時検索した時の俳句はもうすっかり忘れてしまいました。それで最後に、最近のネットの記事に載っていた句をあげておきます。『ぷろぺらのぷるんぷるんと春の宵』。どうですか、真似をしてみたいけど、すぐに無理だとわかる魅力的な俳句です。

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