人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

あの人のタオルは、なぜいつも綺麗なのか

これまでの洗濯のやり方、間違っていた

 私はいつも思っていた、なぜあの人が用意してくれるバスタオルやフェイスタオルはあんなにきれいなのかと。いつも新品同様に見えるほど、光り輝くような白と、鮮やかな花模様の色彩のタオルに見とれてしまう。もちろん、すべてあの人が普段使っている物なのだが、とりわけ洗濯にこだわりがあるからこそ、あの仕上がり具合なのだろう。それなのに、綺麗なのに慣れきっている私は、自分の家のタオルと比較するをケロリと忘れてしまうのだ。実際のところ、私の洗ったタオルはあの人のそれと比べると、お世辞にも綺麗とは言い難かった。白いタオルは黒ずみ、花模様はくすんでいた。でも、それがいったいどうしてなのか、その原因を追究することなく、ダラダラと今まで時間が過ぎた。一言付け加えると、”あの人”とは実家にいる義姉のミチコさんのことだ。

 ところが、先日、”洗濯王子”として知られる、中村祐一さんの「洗濯のキホン」という記事を読んで、目から鱗だった。衣類が使っているうちに、黒ずんだり、黄ばんだりするの原因は、「洗濯機に衣類を入れ過ぎたり、水量が少なすぎたり、洗い時間が短かったり、すすぎの回数が短かったりといった、”洗濯の基本中の基本”が守られていないことにある」と言う。胸に手を当てて考えてみると、すぐに思い当たる節があった。私が今、いや、ずうっと使っている洗剤は液体ですすぎ一回でOKなタイプだから、それがいけなかったのだろうか。洗濯機のおまかせコースを選択すると、びっくりするほど長丁場でゆうに1時間近くかかることになる。それで、冗談じゃないと、勝手に”自分流”を選択し、洗い3分、すすぎ1回、脱水3分のコースでいつも洗っていた。

 そんな30分程度の簡単洗濯で、いつもやり過ごしていた結果が、バスタオルやフェイスタオルにしっかりと染みついていた。中村さんが薦めるのは、洗濯時間が10~15分、すすぎが3回、脱水が3分のコースだ。そうか、やはり、私の場合は何と言っても、洗う時間が短すぎて、あれでは汚れが落ちるわけがない。それにすすぎが1回と言うのはいくら何でも十分とは言えない。洗剤の宣伝文句に踊らされて、それをあたかも正解でもあるかのように鵜呑みにして、今日まで来てしまっていた。何とも恥ずかしいことで、今流行りのエコで,いやもう10年前くらいからそんなことが言われてきて久しいが、お得だと浮かれていたら、気づかないうちに、洗濯物がその間に汚れてしまっていたのだ。今さら慌てても時すでに遅しだが、今からでも悪い習慣を改めることはできる。

 何回も繰り返し洗濯していれば、当然衣類やタオル類は黒ずんだり、黄ばんでくるのが当たり前という常識を覆された出来事だった。思えば、お盆や年末年始に実家に行ったとき、当たり前のように清潔で美しいバスタオルやフェイスタオルを使っていた。その時はたいして疑問にも思わなかったが、あれにはミチコさんのこだわりがあったのだと気付いた。それで、ミチコさんに電話した時、洗濯の仕方をそれとなく聞いたみた。ミチコさんによると、洗濯時間は7分で、それほど長くはないが、すすぎについては2回することにしていると言う。それに加えて、すすぎが終わったときの水の色を観察し、まだ汚れていれば、あと一回すすぎを追加することもあるそうだ。そうでなければ、納得できないらしい。その発言を聞いて、私はそんなこだわりがあるからこそ、あの美しいタオル類が存在するのだなあと感心するしかない。

 さらに、中村さんは洗濯に使う水の温度についても言及していて、やはりぬるま湯、それも40度程度のものを使うのを勧めている。その理由は、体から出る皮脂汚れを落としやすくするためだ。そこで、ふろの残り湯を使ったらどうかということになるが、実は中村さんはその方法には少し問題があるという。もし使うなら、残り湯ではなくて、綺麗な先湯を使って洗濯をして欲しい。なぜなら、その場合はすすぎは水ですることになり、そうなると、残り湯よりは水温が下がることになる。冷たい水に触れると、繊維は汚れを内部に溜め込み、外に出さない性質があるからだ。せっかく、ぬるま湯で皮脂汚れを落としたにもかかわらず、すすぎの段階で、元の木阿弥状態になる。

 私は元々、風呂の残り湯を使うことには抵抗があり、なぜ汚れた水で洗濯をしなければならないのかずうっと疑問だった。その長年の疑問が氷解した気がする。どう考えても、ぬるま湯の方が汚れは落ちるに決まっているが、肝心なのはその後のことだった。つまり、ふろの残り湯で洗濯をするのはNGで、本末転倒といったほうがいいのではないだろうか。

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