人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

人間の適応能力に驚く

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突然の変化にオロオロして

 考えてみると、かれこれもう1年近く都心のスーパーに行っていないことに気が付きました。そこの店は美味しい肉が安く手に入るので、周りにある飲食店の店員さんの姿をよく見かけたものです。特に牛肉の特売日には歩いて1時間以上かかる距離を散歩がてら歩くのが好きでした。あれこれ肉をまとめ買いした後は、お気に入りのカフェで休憩し、帰りはバスで帰るのが習慣でした。それがコロナウイルスのせいで、もうあの地域には近寄ることができなくなりました。もうあの店の肉を食べられないのだと思ったら、「これからどうすればいいのだろう」と頭を抱えてしまいました。気軽に買える店がないではないか。いつもの定番のメニューを作るのに絶対必要な牛肉が手に入らなくなる、頭の中が真っ白になって悩みました、その時はもう深刻に。それはあたかも、都心にあった唯一の外国人のお気に入りのカフェが引っ越しが決まったときの彼らの反応と似ています。「これから、いったいどこへ行けばいいのだ?」。そのカフェは日本では珍しいテラス席が中心で、その独特のスタイルが外国人に人気があったのです。だから、彼らは自分たちの居場所が容赦なく奪われることに絶望感さえ感じていたのかもしれません。

意外な適応能力に驚いて

 私の場合は、確かに、その時は突然必要不可欠な物を奪われたのですが、不思議なことに今では特に問題がないのです。つまり、悩んでいるうちに、だんだんと諦めてきて、とりあえずの代用品で満足することにしたのです。しかし、その時は長くても2~3カ月ぐらいだろうと甘い見通しをしていました。そんなある日、近隣のスーパーで、米国産でもカナダ産でもない、ブラジルで育てた自社ブランドの牛肉を売っていたのです。値段も国産のものと比べると半額以下です。まずは食べられるかどうか試してみようと買って帰り、いつものメニューを作ってみると、やはりいつもの味には程遠いのです。でも、捨てるのももったいないので、使い切ることにしました。そしたら、不思議なことに、国産とは比べて油が少なくあっさりしている肉に慣れてしまったのです。信じられないことですが、別に国産独特のミルクっぽい味がしなくても構わなくなったのです。ありえないことです。何でこうなってしまったのか。予想もしなかった自分の変化に驚き、これも人間が持つ適応能力のおかげなのかとつくづく思ってしまいました。

 最近では、新聞の折り込みチラシでスーパーの特売日を知っても、特に気持ちが動くことはありません。以前は感染が少し落ち着いたら絶対に行こうと思っていたのに、あの気持ちは何だったのか。どこへ行ってしまったのか。しかし、別の側面から考えると、人間は自分の都合のいいように気持ちを切り替える能力を持っているようです。だから、この先どんな未来が待っていようとも、きっと大丈夫だと思いたいのです。

今の事態を悲観していない?

 今、ふと、思いだしたのは、阪神大震災の時のマスコミのインタビュー映像です。あの時被災者の方に「今のお気持ちを聞かせてください」と質問した記者は言葉を失ってしまったのです。なぜなら、自分の家が全壊したご夫婦の奥さんが「私たちはこの状況に全然悲観していないのです」と平然と答えたからです。記者はこの悲惨な状況での被災者のどこにぶつけていいかわからない悲しみをお茶の間に実況中継するのが仕事です。それなのに予想したような反応をしてくれないので、焦ってしまい、「それは本当のお気持ちなのですか」と逆に聞いてしまいました。そのやり取りをじっと見ていた私も、どうなるかと目が離せませんでした。そしたら、「親戚の人にもよくそう言われるのですが、私たちは日々淡々と生きるだけですから」。先ほどからの態度は変わらず、記者は本来の仕事をさせてもらえませんでした。

 「本当にそう思っている?」と何度も聞かれるというその方たちは、自分たちの悲惨な運命に抗おうとは思わないのです。あるがままに受け入れて生きて行こうと覚悟を決めているのでしょう。どんな状況にあっても人間の適応能力を信じているのかもしれません。

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