人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

貝殻から連想するもの

人の発想はそれぞれで面白い

 東京新聞の夕刊に連載されている4コマ漫画『ウチのげんき予報』をたまに見ては、アハハと笑っている。この漫画の作者は新田朋子さんで、毎回,「こんなこと、あるある」と頷くことが多い。祖父母と、40代ぐらいの夫婦、まだ小さな男の子と小学生の女の子の6人のげんき家族が主役なのだが、特に際立って面白いのがおばあさんだ。私から見ると、彼女の行動はいつも臨機応変で、その時その時で反応がコロコロ変わる。こう決めつけてはお叱りを受けるが、この年頃の女性特有の自分勝手さを、いや~な感じではなく、とても可愛く感じてしまうのだから、不思議だ。高齢女性は、ある意味子供のようなところもあるが、決して、そのまま”子供”というわけでもない。それに、新聞の投書欄を見てみると、70代や80代の方たちが堂々と今の政治や出来事に対して物申していらっしゃるのを目の当たりにして感心してしまう。

 このげんき家族のおばあさんはもちろん、ちゃんとした常識の持ち主で、ご近所づきあいも卒なくこなしているが、ときどき、あれ~?と思う言動をやらかしてしまうのだ。だが、それが、ひどいことでもなく、クスッと笑って済ませられるところが、この人のチャーミングポイントと言えるだろう。考えてみると、高齢女性で、こんなに見ていて、いや、読んでいて、退屈しない方も珍しいのではないかとも思えて来る。もしもこんな方が身近にいたら、さぞかし楽しいに違いない。

 今回の漫画のテーマは貝殻で、げんき家族の男の子が、友だちから旅行のお土産に貝殻を貰った。「わあ~、ありがとう」と大いに喜んでいると、お母さんが、「綺麗ねえ、沖縄にでも行ったのかしら」と話しかける。お姉ちゃんも、「いいねえ、ハワイかしら」などと、盛り上げてくれるので、男の子はウキウキしてきた。それで、有頂天になって貝殻を眺めていたら、そこにおばあさんがやってきた。だが、このおばあさんの一言で男の子の気分は急激に落ち込んでしまうのだ。なぜなら、おばあさんに「あら、美味しそう、炉端焼き?」などという夢も何もあったもんじゃない、現実そのものを突き付けられてしまったからだ。貝殻から連想するものが、三人それぞれ全く異なるところに焦点を当てた作者の企みがユニークだが、男の子にとっては余計なことだったようだ。せっかく夢心地だったのに、一瞬にして台無しにされたのだから。それでも読者としては、アハハ、と笑ってしまって、確かにこういう人っているよねえと、おばあさんに賛同したくなってしまうのだ。

 例えば、水族館に行って、展示されている水槽の中を泳ぐタコを見ていたら、友人のひとりが「おいしそう!」と呟いた。一瞬面食らったが、友人の頭の中ではタコは食べたら美味しいもので、食料という発想でしか捉えることはできないらしい。水族館の展示と料亭の生け簀を同等に考える人がいることに、違和感を覚えたが、まあそれもありかと急いで自分を宥めた。私などは、水槽の中を身体をくねらせながら泳ぐタコに、「これがあのスーパーでしか見たことがないタコなのか」と興味津々で見ているのに。そもそも茹でダコしか見たことはないので、本物がなんだか別の生き物のように見えてくる。なので、その驚きの最中に、それを食べると言う発想は生まれるわけがない。

 友人は水族館でマグロの大回遊の展示を見ていても、やはり、マグロの刺身を連想するのだそうだ。何とも信じられないことだが、まあ、いいだろう、人が何を思おうと自由なのだから。そう言う人っているよねえ、の一言で終わらせた方がいいようだ。その点において、げんき家族のおばあさんの発想は、私の友人のそれと類似している。要するに、食いしん坊なだけなのか、あるいは、魚=食料と言うように思考回路が直結しているのだろうか。そう言えば、友人はこうも言っていた、「食べられない魚など見たくもない、しかもお金を払ってまで」と。いやはや、これはもう極論としか言いようがないので、放って置くしかない。

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