映画もあるし、原作だってあった
昨日、来月のNHKの語学講座のテキストを買いに近所の本屋に立ち寄った。レジでお金を払う時に3399円と言われて、ええ!そんなにと驚いたが、よくよく見たら一冊税込み680円もするのだった。だが、知識の宝庫とも言えるテキストを買わずにいられるわけもない。すぐに思い直し、支払いを済ませて、店を出ようとした。すると、新刊本の棚にある本のタイトルが気になった。この店は店に入るとすぐに新刊本の棚があるので、どうしても素通りはできないのだが、昨日は全く逆だった。生憎時間がなかったので、NHKのテキストの売り場に直行した。それなのに、店から出ようとしたら、後ろ髪をひかれる形になった。
その本のタイトルは『関心領域』で、普通なら、聞き覚えのない言葉で、いったい何のことだろうと思ってしまう。だが、その時の私はすでに、『関心領域』という言葉を知っていた。2,3日前だったか、新聞の新着映画の広告に『関心領域』というタイトルを見つけたのだ。何と、あのアウシュビッツ収容所の隣りで、幸せに暮らす家族がいた、というキャッチフレーズに凍り付いた。その家族は収容所の所長ルドルフ・ヘスとその妻へ―トヴィヒ、それから、彼らの4人の子どもたちのことだ。すぐ隣にある残酷な現実を無視して、自分たちだけの幸せを享受していたと言うから、吐き気を催してしまう。この映画が私たちに突き付けているのは、無関心という無自覚な傲慢さに他ならない。
考えてみると、私たちはウクライナやガザでの悲惨な殺戮を止められないから、何もできずに傍観者でいるしかない。ニュースで惨状を知りながらも、普段はその人たちを忘れていられるから、呑気にご飯も食べられるし、旅行にだって行けるのだ。命の危機に瀕している人たちのことを努めて考えないようにしているから、ひとでなしみたいな行為が容易にできる。つまり、何もできないので、無気力感に襲われるあまり、心の関心事から早々に追いだしてしまうのだ。もちろん、罪悪感はあるにあるが、それって私だけが責められることではないと開き直れてしまうことも事実だ。どうして戦争になってしまったのか、戦争の原因を知りたくて、あらゆる情報を得ようとすればするほど、底なし沼に沈んでいく気がする。
この『関心領域』というタイトルに興味津々なのは、今秋にポーランドのアウシュビッツに行く予定があるからだ。旅行の準備でガイドブックでアウシュビッツに関する情報を探していたら、自分が今まであることを誤解していたことがわかった。それはアウシュビッツがポーランドの首都ワルシャワに近くて、そこからバスか電車で行けるのだとばかり信じていた。ところが実際はクラクフという世界遺産になっている古都から、バスで1時間30分くらいで行けると知った。ネットでアウシュヴィッツへの行き方を検索していたら、そこを訪れた人の体験記を読んで驚愕した。子どもの頃、学校の社会の授業で、収容所では毒ガスで多くの人が命落としたと教えられ、今でもずうっとそうだと信じていたが、実は殺虫剤だったと知って、頭をガ~ンと殴られたような衝撃を受けた。
当時ドイツが製造していた強力な殺虫剤らしいが、果たして害虫は即座に殺せるかもしれないが、人間に対してはどうなのだろうか、と不謹慎極まりないことを考えてしまう。ブログの書き手の人も、「おそらく、死に至るまでの人々の苦しみは想像を超えるものだったに違いありません」と綴っていた。ここで、ふとあることを思いだした。それは保健所での動物の殺処分に関してで、義姉のミチコさんが言っていたことだ。それは、殺処分と言えば、聞こえはいいが、実際のところは犬や猫を”圧死”させるのだと言う。だんだんと部屋と言うか、箱の中の空気を抜いて行って、窒息死させるやり方だ。もうこのくらいにしておこう、こんな重苦しい話題について書いているだけで、気分が悪くなってきた、皆積極的に話題にしたくないのも当然のことだが、人間としては無関心でいてはいけないのだ。
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