人生は旅

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ネガティブ・ケイパビリティ

解決法を教えてくれる本ではない

 新聞の図書案内で、帚木蓬生さんの著書『ネガティブ・ケイパビリティ』を見つけた。ネガティブ・ケイパビリティとは何ぞやと宣伝文句を読んで見ると、答えの出ない事態に耐える能力だと言う。世のなかにはそんなどうしようもない事態は五万とあって、皆それぞれ悪戦苦闘している。耐えられるか否かに関わらず、逃れようのない事態で、付き纏われるような状況で、何とか耐えているのだ。その事に能力というものが必要なのかどうか、あるいは、耐え忍ぶことそのものに能力という名前がつくのかどうか、甚だ疑問だった。それ以上に私が興味津々となったのは、そんな答えのない事態にどう立ち向かっていったらいいのか、ということで、できる事ならベストな方法を教えてもらいたかった。いや、別に直接的なことで無くてもいいから、せめてヒントだけでもほのめかして貰えればいいとさえ思った。

 著書によると、ネガティブ・ケイパビリティとは、「性急に証明や理由を求めずに不確実な不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する。精神科医でもある帚木さんは、毎日患者さんから話を聞くのが仕事なのだが、皆すぐには解決できないような難題を抱えている人が多かった。当然医者も人間なので、話を聞くだけでは済まなくて、自然と自分の中に葛藤が生まれた。少しでも患者さんを楽にしてあげたいのに、適切なアドバイスがしてあげられないことに悩んでいた。だが、ある時、ネガティブ・ケイパビリティの存在を知って、心が軽くなった気がした。つまり、患者さんにとっては帚木さんに話を聞いてもらえることが何より重要で、早急に問題が解決しなくても構わないのだった。そこまで求めていないのだと思えてきた。帚木さんにしても、ネガティブ・ケイパビリティを大いに発揮してこそ、患者さんと向き合えることがわかった。

 さて、私の疑問はどうなったかというと、残念ながら、その点については何も答えが見つからなかった。なぜなら、この本はどうしたら答えのない事態に堪えられるのか、あるいはいかにしてやり過ごすのかという方法と言うか、対策を伝授してくれる本ではないからだ。どうしようもない、先が見通せない、泥沼に嵌った事態であっても、そこで耐えることに意味がある、と言いたいのだろうか。それもまたひとつの立派な能力と言えるのだと。そう言うことだから、皆さんそれぞれでよく考えて、対処してくださいと言うことか。そうなのだ、最後は自分なのだ。頼り切っていても、最後には自分で考えろとなるのが、啓発本のいつものお約束だった。それを重々承知で、一縷の望みを抱いて、啓発本を読み漁っていた時期が懐かしい。

 いずれにしろ、ネガティブ・ケイパビリティは予測のない事態が起こり得るこれからの世の中を生きるのに役に立つと言うことだ。こう書いて、ハッとした。この文句は何処かで見た覚えがあったからで、何度も新聞で見て、いつの間にか私の心に刷り込まれたらしい。考えてみると、耐えること自体はなんだかとてもネガティブで消極的なことに思えてくる。適切な行動がとれなくて、耐えることしかできないなんて、惨めすぎるのではと思っていたが、そうではないらしい。もっと肯定的に捉えて、耐えていること自体に光を当てて、それ自体に意味があることを再確認させてくれた。できることなら目の前の事態に白黒つけたいができない。憂鬱極まりない問題に翻弄させられている自分を冷静に第三者の目で見てみると、ネガティブ・ケイパビリティを強く意識することができるのかもしれない。

 帚木さんは、著書の中で最近話題になっているNHK大河ドラマ『光る君』の主人公紫式部の例を挙げていた。吉高由里子さん演じる紫式部は、まさにネガティブ・ケイパビリティの典型とも言える人物なのだと。

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