人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

西表島で遊ぶ

今週のお題「何して遊んだ?」

空も海も青くて、海の中はまるで宝石箱

 姉の子供たちがまだ小さかった頃、皆で西表島に行ったことがある。夏休みに子供たちをどこかに連れて行こうと考えたら、山よりも海で、海で遊ばせたいと思った。できることなら、綺麗な海がいい。そうなったら、日本では沖縄しかない。沖縄本島でも、石垣島でもいいのだが、どうせならもっと水の透明度が高い離島がいいと、だんだん欲求がエスカレートしていった。その結果、姉と子供二人と私の4人で西表島に行くことになった。ツアーではなくて個人旅行にしたのは、時間に縛られず、ゆっくりと過ごしたかったからだ。

 まだインターネットなどない時代で、石垣島までの航空券を買うために旅行代理店に行った。ホテルを予約するにも、シュノーケリングの予約をするにも、すべて電話でするしかない。その頃の情報源は旅行のガイドブックで、あとは現地の観光局に問い合わせるしかなかった。泊まる場所にしても、いくつか載っているホテルから選ぶのだが、どこがいいのかなんて、わかるはずがない。今のインターネットのように詳しい情報は得られないので、運を天に任せるしかなかった。

 石垣島までは飛行機で行って、そこからフェリーで西表島の船着き場に着いた。ふと見ると、辺りには人影がない。船を降りると、予約しておいたペンションを目指して、ジャングルのような道をひたすら歩く。「ここって人が住んでいないんじゃない?」と姉の小学生の子供が言う。強烈な日差しの中を歩いているので、喉がカラカラで足取りも重い。今の時代なら、送迎サービスでも頼んでおいた方がずうっと合理的だ。無駄に疲れなくて済みそうだ。

 やっとのことで、ペンションにたどり着くと、そこは2階建てのアパートのような建物だった。階段を昇って、通路を少し歩くと、そこが私たちの部屋だった。8畳と6畳の二間の部屋には電話があって、朝食と夕食の時には「食事ができましたよ」と知らせてくれた。母屋は別にあって、そこで泊り客が食事をするようになっていた。だが、私たちのお目当ての海はどこにもなかった。海はここにはないのだろうか。すこしだけ不安になってきた。それで思い切ってペンションの女主人に聞いてみた。「あのう、海はどこにあるのですか」「ほら、あそこに見えるでしょう」その人は目の前にある木が生い茂っている辺りを指さした。ようく見てみると、たしかに木々の間から何か青いものが見えた。それがまさに私たちが目指した海だった。

 早速、走って行ってみると、たしかに海は青くて綺麗だ。だがそんな気持ちに水を差すのは、砂浜に散らばっているゴミの山だ。あの頃はまだ、そんなにペットボトルは多くなかったが、お酒の空き瓶、空き缶、プラスチック製の袋が砂浜に打ち上げられていた。ホテルのプライベートビーチというのはきちんと掃除された特別の空間なのだと気付いた。仕方がない、私たちのペンションにはそんなものはない。女主人は「お好きなように」とでもいうような感じだった。

 掃除が終わると、レジャーシートを敷いて、日よけのビーチパラソルを開いた。私たち大人はできるだけ木の陰に身を寄せて、子供たちが遊ぶのを見守った。遊ばせる前に日焼け止めを全身に塗りたくる。頭には麦わら帽子、水着の上にはTシャツを着せた。足にはビーチサンダルを履かせて、足の裏にも日焼け止めを塗りたくった。そうでもしないと、子供の柔らかい肌は火傷をしてしまう恐れがあるからだ。子供たちがあまりにも楽しそうなので、姉と私も見物人をやめて仲間に加わった。下の子が貝拾いに熱中していて、「ほら、綺麗でしょう」と見せてくれる。見たこともない巻貝の美しさに惹きつけられて、大人の私もちょっとだけのつもりで探したら、何のことはない、楽しすぎて時を忘れた。戦利品をペンションに持って帰って、ベランダに並べ、眺めて悦に入る。でも一番素晴らしかったのは、宝石箱をひっくり返したような海の中だった。サンゴ礁のある場所でシュノーケリングしたら、その美しさに雷に打たれたような衝撃を受けた。人工的な美しさなど遥かに及ばないレベルで、自然の偉大さを痛感した。

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