人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

金子みすゞと子供にとって大切なこと

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あの広告「こだまでしょうか」

 私が金子みすゞさんの名前を知ったのは、震災後の公共広告で「こだまでしょうか」の作品が繰り返し流れたからです。その時はその詩の意味をあまり深く考えたことがありませんでした。あの広告のせいか、金子さんの作品や経歴にマスコミが注目し、やたらと特集が組まれたにもかかわらず、作品の真意は明かされませんでした。たしか、テレビドラマにもなり、金子みすゞさんの役を上戸彩さんが演じていました。才能のある女性なのに、文学を生きがいにして生きる道もあったのに自殺してしまうのです。それは夫に自分の生きがいともいえる子供を取られてしまったからです。夫婦仲がよくなくて、離婚を望んでも拒否されました。子供にも会わせてもらえず、絶望して命を絶ちました。素晴らしい詩を後世に残したのに、私生活では決して幸せではなかったようです。

丸ごと受け入れるのが難しい

 先日の新聞で「金子みすゞ記念館」の館長の方の記事を読んでまさに目から鱗が落ちる思いがしました。こだまとは「ヤッホー」と言ったら「ヤッホー」と返ってくるもの、つまり相手の存在を丸ごと受け入れることだそうです。では「丸ごと受け入れる」とはいったいどうすればいいのかと疑問が湧いてきます。館長の答えは、普通大人が子供に対して取ってしまう言動とは反対のことなのです。子供が転んで「痛い」と言ったら、大人は大抵「痛くない」と言って我慢するように言ってしまいがちです。それでは「丸ごと受け入れる」ことにはならないのです。子供が「痛い」と言ったら「痛いね」と返すだけでいいのに、なかなかそれができない時代になったと館長は嘆いておられます。事実、子供たちに聞いてみたら、みんな「痛いね」と言われた方が嬉しいとの意見がほとんどでした。そして、残念なことに彼らの親の大半は「丸ごと受け入れる」ことができない人達なのだと。

 ここまで書いてきて、ふと思ったのですが、誰でも使ってしまう「痛いの痛いの飛んで行け~」と言うあの呪文は禁句だったのですね。考えてみれば、自分は痛くないからこそ、体験してないからこそ言えたひとことだったかもと反省しています。「痛いね」と共感してあげた方がどれだけよかったか。

「いてくれるだけでいい」はさらに難しい

 さらに館長は他者の痛みを受け入れられないというのは「自分は自分」「他人は他人」と分けて考える傾向にあるからだと指摘しています。だから他人の痛みを自分の痛みとして感じることが難しいのです。いいえ、忙しいことを理由に想像力を働かせることすらしないのが普通なのではないでしょうか。他者を「丸ごと受け入れる」ことができない世の中は優しさのない世界で冷たくて弱者には残酷なだけです。

 今はコスパ重視の世の中ですから、「役に立つ」とか「役に立たない」のどちらかに分けてしか物事を見ようとしない傾向にあります。親は子供にも彼らが存在する価値を見出そうと必死になります。まさか、子供が本来は「いてくれるだけでいい」それだけで尊い存在であることに気付いている親はどれだけいるのでしょうか。

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