人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

うちの子でよかったやろ

f:id:mikonacolon:20211015144930j:plain

セーヌ川水上バスから見たエッフェル塔NHKまいにちフランス語テキストから。

飼っていた犬に死なれて、わかったことは

 以前、新聞を読んでいたら、思わずクスッと笑ってしまいました。朝日俳壇・歌壇のページにあった「うちの子でよかったやろ 犬死んでわかった よかったのは我」の短歌に遭遇したからです。心に引っ掛かったのだから、てっきりスクラップしてあるのかと思ったら、意外にも見つかりませんでした。こういう気持ちは「言えてる!」と共感し、でも「あるある」なのだと見過ごしたのか。あるいは笑ってはみたものの、作者の気持ちになったら、途端に寂しくなって切り取るのを忘れてしまったのか。まあ、いずれにしても、いつのまにかしっかりと記憶の底に刻まれてしまったのです。

 作者は「うちの子でよかったやろ」といつも犬に言っていました。これって飼い主の思い上がり、自己満足でしかないとも取れますが、犬への愛情の現れとも受け取れます。厳密に言うと、上から目線で犬を見ていたことには変わりありません。でも犬に死なれてみたら、気づいたのです、犬がいてくれたからこそ「よかった」と思えたのだと。面倒見てやっているのだぞという気持ちが強すぎて、犬が心の支えになっていることに気付けなかったのです。人は何かを失ってみて初めて、その大切さに気付くものなのです。その何かはその人にとっては、たいして気にも留めないことであり、あって当たり前の物です。この短歌の作者の心境も、「犬の幸せは自分が作っている」のだと信じていたし、自分あっての犬だったのです。

 ところが、本当のところは、今更気づいても遅いのですが、犬あっての自分だったのです。どれだけ自分が犬の存在に依存し、犬のおかげでどんなにか幸せだったかを実感できました。第三者から見れば、どこにでもいる、ただの犬です。たかが犬ですが、長年一緒に暮らせば家族同然で愛情も湧いてきます。家族なら、自分が養ってやっているのだの、自分のおかげでお前はご飯も食べられてのほほんと生きていけるのだと思ったとしても当然なのです。だから、この短歌は最初は軽く笑えますが、すぐにしんみりしてしまいます。誰もが「なるほどねぇ」と頷いてしまう心に残る歌なのです。

 そういえば、最近新聞で読んだ暮らしの作文の「ひととき」に載っていた記事を思い出しました。それは80歳の女性が飼っている犬2匹と散歩に出かけた話でした。結論から言うと、犬を心配させて、申し訳なかった、可哀そうなことをしたと反省したという内容でした。ある日、女性はいつものように愛犬2匹と散歩に行きました。ところが、段差があるわけでもないのになぜだか転んでしまいました。顔をぶつけて道路に横たわっていると、目の前に2匹の犬の顔がありました。彼らの顔は飼い主を心配そうに見つめています。その2匹の顔を見ていたら、「そうだった、私にはこの子たちがいたんだ。こんなことをしている場合じゃない」と思えてきたのです。それで女性はすぐに立ちあがって、「大丈夫だから心配しなくていいよ」と声をかけて犬たちを安心させました。驚くべきことに、こんな状況にあっても、この女性は自分の事よりも犬たちのことを思っていたのです。

 娘さんに事後報告したら、「トラブルにひとりで対応できたことは凄い!」と褒められました。でも「これからは気をつけてよ」と釘を刺さされて、「どうってことないよ。まだ大丈夫だから」と言いたいのに言えなかった。そんな自分を嘆いてみたが、年齢には抗えるわけもない。少しずつ、自分の心に折り合いをつけてこれからは毎日生きて行こう、と思ったのでした。そんなふうに現実を楽観、ではなくて、諦観して生きようという女性の素直な気持ちが伝わってきました。年を取る、つまり老いることに対する心構えみたいなものを感じたのです。

 

mikonacolon