人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

菊池寛「父帰る」

読んでみたら、胸に何か温かいものがこみ上げてきて

 そもそも菊池寛のこの「父帰る藤十郎の恋」を手に取ったのは、日経の夕刊の『文学周遊』という記事を読んだからだった。この連載は文学作品の舞台となった土地を訪ね歩いて、その背景を今一度振り返ってみるのが目的のようだ。先日は菊池寛の「父帰る」で、いつもはササさっと、一通り読んで終わりなのに、ある一文で引っ掛かった。それは「故郷の高松を訪ねると、本人も想像もしなかったであろう残り方に出会った」という、何だろう?とこちらを振り向かせずにはおかない意味不明な文句だった。その正体はすぐにわかった。「菊池寛が通った四番町小学校では毎年、年度の終りの頃に6年生が有名な初期の作品を演じるのが年中行事になっていた」そうで、それは菊池寛祭りと呼ばれていた。現在のコロナ禍にあっては、さすがに中止にせざるを得なかったが、今は何とか復活させるべく、「地域の指導者等を募って再開を模索している」という。

 最初、私はどうせ学校の先生に言われて、生徒たちはやらされているのだとばかりだと思っていた。だが、それはとんでもない誤解で、生徒たちは心の底から菊池寛の物語を素晴らしいと感じていた。それを証拠に、生徒たちは皆、劇の稽古に打ち込み、セリフを暗唱できるほどにまでなるそうだ。これほどまでに故郷の人々に愛される菊池寛の小説とは一体全体、どんな話なのだろうと無視できないほどに心が騒いだ。こうなったらもう一度読んでみるしかない。近所の本屋に行ってもないとわかっているので、早速中規模書店に飛び込んで、検索機で探してみるが、何と在庫はなかった。時間の無駄だったか。最初から都心の大型書店に行けば何の問題もなかったのに、めんどくさがり屋の性格が災いした。

 先の菊池寛祭りでは、菊池寛の4つの作品、「恩讐の彼方に」「蘭学事始」「屋上の狂人」「父帰る」が順繰りに上演されてきた。恥ずかしい話だが、私は今まで菊池寛の作品は一度も読んだことがなくて、作品の名前だけ覚えていた。つまり、学校の教科書で何度か見ただけで、知ったかぶりをしていた。おそらく生涯でこの人の作品を読む機会などないと思っていた私に、突如として、まさに棚からぼた餅が落ちてくるように、このタイミングでどうしても読まなきゃという差し迫った思いが沸き上がってきた。

 素直に自分の気持ちの赴くままに、菊池寛の4つの作品を読んでみた。「蘭学事始」は別として、あとの3つの作品はどれも私の汚れ切ってしまった心が洗われて、純白になったような錯覚に陥ってしまう物語だった。事実本を読みながら、もう今ではとっくに失くしてしまった、そんな尊い心があることに気づかされて涙した。もちろん、新聞の連載のテーマとなっている「父帰る」も感動作には間違いないが、それよりも私の心に最も響いたのは「屋上の狂人」だった。

 両親と3人の兄弟が一つ屋根の下に暮らしていた。と書くと、何の変哲もない家族だが、この家にはどう見ても頭のおかしい長男がいて、毎日のように屋根に上って降りてこようとしない。両親が世間体も悪いし、危ないのでやめさせようとするのだが、家の中に連れ戻すと苦しみだす。その彼を小説では「狂人」という名で表している。その狂人に言わせると、自分は屋根の上に居るのが一番落ち着くので、ずうっとそこに居たいのだ。狂人には優秀な弟がいて、役所に勤めていた。両親は弟のためを思って、つまり出世のことやあと数年したら嫁を貰うなどのことを心配していた。狂人の存在が弟の将来に邪魔になると考えて悶々としていたのだ。

 だが、驚くべきことに、この弟は兄思いで思慮深く寛容な人だった。「僕は兄さんほど幸福な人を見たことがありません。だって屋根に上っているときの兄さんはとても幸せそうに見えるから」などと真顔で言ってのけた。さらに「僕は兄さんを存分に外の景色が見える部屋に住まわしてあげたいんです」と嬉しいことを言うものだから、両親は感謝の涙を流すしかない。

 冷静に考えてみると、そんなバカな話はあり得ないのかもしれない。だが、人間はあり得ない話に憧れる傾向があるから、不覚にも涙をながしてしまうのだろう。

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