人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

本読み放題の大型書店よ、もう一度

今週のお題「復活してほしいもの」

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もしかしたら私のせいで潰れた、当時はそう考えた

 もう今では跡形もないが、何年も前にはデパートの5階と6階に大型書店のフロアがあった。都心にあるデパートだけあって、その本屋はいつも人で賑わっていた。なぜあんなに大勢の人がいたのかと言うと、それは椅子が置いてあって、誰でも好きな本を好きなだけ座り読みすることができたからだった。児童書のコーナーにはプレイルームが作られていて、子供がおもちゃで遊んだり、絵本を見たりできるようになっていた。店内に立ち並ぶ各書棚の隣には小さなベンチが置いてあった。だから、気軽に本を手に取って座ってしまって、本当は本の内容を確かめるための椅子なのに、気が付くとどんどん読み進めてしまっていた。なんだか楽しい、こんな気持ちは久しぶりだ、なんて思ったら、もう後戻りはできなかった。そんな体験に味を占めた私は休みの日に書店に通うようになった。家から遠くても構わなかった。片道40分の道のりも運動と思えば、たいして苦にもならなかった。

 最初はやはり家に帰ってくると疲れを感じたが、しばらくすると完全に慣れてきた。今思うと、なぜあんなに一日中本ばかり読んでいて、疲れなかったのかと不思議でしかない。書店のベンチに座ってひたすら本を読んだ。今考えれば、物凄い集中力で、まるで周りには誰もいないかのように自分だけの空間を堪能していた。1冊読み終わって、本を元の棚に戻そうと立ち上がったら、脚がもつれてよろけてしまったこともあった。長時間同じ姿勢のまま、脚を動かさないでいると急には力が入らなくなるらしい。時には1日に単行本を3冊読んだこともあって、その日はとても充実した気分で浮き浮きしながら家に帰った。

 座り読みの良さは、立ち読みではサラッとしか覗き見できないのと違って、興が載ればその先まで読み進めることができることに尽きる。普段は自分が絶対買わない作家の本を表面だけでなく、その内側まで知ることができるのは新鮮な発見だった。座って読めるということは、人の目があったとしても一応落ち着ける。ひとたび自分の世界に入り込んでしまえば、それまでで、あとは何も気にはならなかった。当時新聞などで話題になっていた叶姉妹の恭子さんのエッセイも読んでみた。テレビで見るのとはまた別の面を知ることができて目から鱗だった。恭子さんは若い女の子の悩みに率直に答えていて、その真剣な思いやりのあるアドバイスに感心した。

 都心の書店に通って、至福の時間を堪能していた私だが、ある日仰天する出来事が起きた。それはいつものように本に熱中していたら、突然ひとりの女性に声をかけられてしまったことだ。「いい加減、もう読むのやめてもらえませんか」。そんな言葉をかけられて何のことだか意味がわからずに呆然としている私に、続けてその人はこう言った。「どれだけ長い時間読んでるんですか。ひどすぎる!」

 なんだかとても悪い事をしているような気がして、後ろめたい気分にもなった。でも周りを見たら、隣だけでなく、あちこちに座り読みしている人がいっぱいいた。そうか、どうやら私は目をつけられたのだとようやく気付いた。発言の主の胸元をよく見たら、ネームプレートが付いていたから、書店の職員らしいことがわかった。確かに私のような”タダ読みする人間”ばかりだったら、書店の経営は成り立たないのだろう。声をかけて注意したい気持ちも理解できるので、素直に従うことにした。怒られないようにそっと別の階へ避難し、息をひそめて本を読んだ。

 ある時、雑誌コーナーで高校生が大勢座り読みして、ギャアギャア言いながら騒いでいた。例の女性職員が飛んできて、早速注意されたので、私だけではないと気付いた。その頃、私は彼女の気配に配慮しながら、それでも座り読みを続けていた。当然失敗もある。彼女の姿を見かけて別の階に避難したら、なんとその場所に現れて、見つかってしまって仰天したことがあった。でもそんな追っかけごっこもついに終わりを告げる事態になった。書店が閉店することになったからだ。店に貼ってあった店長のお詫びの言葉が今でも忘れられない。「私の力が至らず、閉店するような事態になってしまったことは悔やんでも悔やみきれません」。

mikonacolon