人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

長蛇の列、なぜ平気なの?

外国人は、なぜ慌てもせず、焦りもしないのか

 ある日の日経新聞の夕刊のコラム『明日への話題』に俳優のイッセイ尾形さんが書いていた、なぜ慌てない焦らない、と。最近では、外国人観光客、それは以前のように、中国人ではなく、特に西洋人と思われる人たちの増加が連日話題になる中での出来事だった。尾形さんは東京駅の新幹線窓口でも、大勢の外国人観光客を見かけ、その数の多さに「凄い!」と声を上げてしまったのだが、大阪に着いてからも同様な光景を目撃した。大阪駅を出て、タクシーに乗り込もうと思ったら、天文学的な行列ができていて、「こんなの初めて!」と目をパリくりしてしまった。

 どう考えても、自分に順番が回って来るには少なく見積もっても1時間はかかるだろう。こちらはうんざりしているのに、ふと見ると、自分の前にいる外国人の若者のグループはなんだか楽しそうにおしゃべりして、そんなことは気にする素振りも見せない。ここで、尾形さんは、「なぜ慌てない焦らない?」といった素朴な疑問が沸き上がったと言う。彼らの話している言葉をよく聞いてみると、どうやら英語ではないから、もしかしたら、フランス語だろうかと思って、フランス人って皆気にしないのだろうか、などと思ってしまった。いや、それとも、そもそも外国人というのは本来皆、慌てない焦らない人たちなのだろうかとも考えた。

 それに関しては、私も同意見で、外国を旅行すると、彼らはその行動において日本人とは一線を画していると実感することが多々ある。例えば、日本ではほとんどの人が雨の日は出かけるのを躊躇するのが、ステレオタイプだと考えられているが、外国ではちょっと状況が違う。以前、ベルリンのペルガモン博物館に行こうとして、ホテルの部屋から外を見たら、あいにくの雨だった。だが、少し変わり者の私は、「やったー!」と思った。つまり、こんな雨がしとしと降る日は皆が外に出るのを嫌がるだろうから、たいして並ぶことなく入場できるだろうと考えた。だが、それは全くの浅薄な考えで、実際に行って見たら、そこには長蛇の列ができていた。そこに行って見たいという好奇心がある限り、天気などというものは何の影響も及ぼさないものらしい。なるほど、世界では日本の常識は通用しないのだと実感した出来事だった。

 私が初めて外国で長蛇の列を見たのは、パリの東駅で、しかもバカンスのシーズンだった。パリからドイツとの国境の街ストラスプールに遊びに行って、ちょうど帰ってきたときだった。駅から出て、予約しておいたホテルに歩いて行こうとしたら、駅前に人が大勢いて、その数の多さに圧倒された。いったい何事!?と訝しく思ったが、すぐに状況を察した。どうやらその人たちは皆タクシーを待っているらしかったが、もし自分がタクシーに乗る必要があったとしても、逃げ出したかった。それくらい気の遠くなるような苦行にしか思えなかったので、なんとかして別の方法を考えた思えなかった。

 私が勝手に思うのには、フランス人に限っていえば、皆、物事に関して寛容で忍耐強い。例えば、ひと昔前の空港からパリ市内へのバスはオンボロで、乗っているとガタガタ音がして乗り心地がすこぶる悪かった。真夏だと言うのに、バスの窓は全開放され、自然のクーラーに頼っていた。そのバスが渋滞に引っ掛かったおかげで、市内に着くまでに1時間ほどかかった。乗り物に酔いやすい友達は、降りてから少し休んでからでないと、動けなかった。日本なら、冷房が効いたバスで楽ちんなのにと、現地の流儀の洗礼を受けてしまった。

 さらに、街中のレストランでも、日本とは違う光景を目撃した。現地の人たちは皆お日様の光が大好きらしく、真夏でも、屋外の席に好んで座り、延々とおしゃべりをする。目の前にはまだ飲み物が半分ほど残っているのに、お構いなしで話に花を咲かせている。この点において、日本のビアガーデンとは一線を画していて、飲むのが目的ではなく、大事なのは人とのおしゃべりなのだ。ここにはキ~ンと脳天を直撃するような冷たいビールはないらしい。あの人たちは夏の暑さなんて、感じないんじゃないのと誤解してしまいそうだった。彼らと比べると、自分はなんて弱っちいなのかとつくづく思ったのだった。

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