人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

「給食を2,3人分食べます」に違和感

いつの間にか刷り込まれたフレーズに敏感に反応

 私はいつも、ブログを書いた後、ユーチューブの動画でラジオ体操をしている。昨年は左肩の痛みや右膝の裏に水が溜まったりして辛い思いをしたので、その予防の一環として始めた。そのラジオ体操第一と第二の動画が始まる前にCMが流れるのだが、最近は○○基金というひとり親家庭への寄付を募る動画が数秒流れる。その際のキャッチフレーズが「うちはお金がないので、いつも給食を2,3人分食べます」というものだ。その小学生の女の子が訴える文句が、いつの間にか私の心に刷り込まれたせいか、ある時ふと考えてしまった。そんなこといちいち取り合わなくても、ただ寄付をすればいいのだが、やはり考えてしまった。

 そもそも給食を女の子が2,3人分も食べるなどということがあるのだろうか。そんなことができるものなのだろうか、と違和感を覚えた。要するに、「給食を2,3人分食べます」というのは明かに誇張した表現なのだ。それくらいは私にもわかっている。そのくらいしないと視聴者は振り向いてくれないから故意にそうしているのだろう。どうでもいいことだが、子どもの頃を振り返ってみると、給食は欠席者がいない限り、そんなに余るものでもなかった。それに、余ったとしても、それを食べるのは男子で、見るからに体格がいい子で、普通の量では物足りないのだ。

 現実には女の子が給食を2,3人分食べることなどありえない。わかりきっているのに、どうしても違和感が残るのは、シングルマザーの家庭が、新聞やテレビ番組で取り上げられるイメージと重ならないからだ。私が見聞きするシングルマザーの家庭はメディアで取り上げられる実態とは一線を画しているからだ。ステレオタイプな見方をすれば、シングルマザーの家庭のイメージには貧困が付き纏うが、現実にはどうも違うらしいのだ。世間でよく言われる「貧困は外からは見えない」という人を欺くと言うのでもない。

 例えば、私の知人の娘さんは短大卒業と同時に同級生と結婚をした。いわゆるできちゃった結婚というので、浪人して予備校に通っていた相手の男の子は進学をやめてトラック運転手になった。最初は知人の家で新婚生活を送っていたが、さすがに居づらくなって実家の近くのアパートに引っ越した。その後子供が二人生まれ、上手く行っていると思ったら、娘の夫が鬱病になった。「家庭が暗くて堪えられない」と、娘は実家に帰ってきた。ここで、思うのだが、家庭は明るく楽しくなければならない、などと誰が決めたのだろう。だいたいが結婚生活はそんなに楽しいものなのだろうか。一昔前によく言われたように「結婚生活は人生修行のようなもの」ではないにしても、最近はできる事なら、辛い事でも楽しむのが主流の世の中だ。

 そう、人生はどうせなら楽しく生きるのがモットーなのだ。避けがたい苦痛すらも楽しんでしまおうというしたたかな生き方が推奨されている。実は知人から娘さんが実家に帰ってきたという話を聞いた時、真っ先に浮かんだのは、嫌な事から逃げているだけだということ。家庭が暗いぐらいで何なの?とでも反論しかねない感情が沸き上がった。少し辛抱が足りないのではないかとも正直思った。娘さんは実家で何の不自由もなく子供二人と暮らしていた。パートをしているが、経済的には困っていなかった。あのまま夫婦で顔を突き合わせて悶々と暮らすよりも、遥かに生き生きと暮らしているのだと言うことが知人の話から伝わってきた。

 かつては娘さんの行動を「逃げてる」と非難しておきながら、今となっては、「本当に嫌なら逃げてもいいのだ」と思えるから不思議だ。感情は何より正直で、理性を上回ったとしても許されることもあると思いたい。他人からそんなことぐらいでと思われようが、我儘と言われようが、自分が感じている辛さは他人にはわかっては貰えない。いや、むしろわかって貰わなくてもいいのだ。それぐらいに思った方が気が楽でいい。

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