人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

知らなかった隣人の死

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コロナに感染しても後ろめたさは感じなくていい?

 それは突然の告白だった。隣に住む60代の女性がたわいもない世間話の最中に「私、もうひとりになってしまったから、どこかに引越ししたい」と呟いた。それを聞いた私は「ひとり?一人じゃないでしょう、御主人がいるでしょう?」と言いかけたら、彼女は「あの人はコロナで去年死んでしまったの」などと言うではありませんか。私は雷に打たれたような衝撃を受けた。あの、どう見てもお元気なご主人が、もうこの世にいない!いったいどうして、何がどうなってそうなったのか、頭が混乱した。自分の隣に住む、いつも朝挨拶していた人が死んでしまったことさえも知らずに生活していたのかと思うと、形容しがたい複雑な気持ちになった。

 彼女の話によると、御主人は以前から結石があって、いつも身体のあちこちが痛いと嘆いていた。去年のある日、あまりにも痛いので我慢できずに救急車を呼んだ。市の医療センターに運ばれたら、入院して治療することになった。2カ月ほど入院する予定だったが、折も折コロナで病室を空ける必要があるとかで、離れた場所にある病院に転院させられた。ところが、不運にもそこでコロナに院内感染してしまった。原因は担当の看護婦さんがコロナに罹ったからで、患者であるご主人にも移ってしまったらしい。彼女の話を聞きながら、テレビのニュースで聞かされていることが現実に起きているのだと痛感した。正直言って、テレビで見てるだけではなんだか他人事で、たいして身に迫って来ることはなかった。不謹慎ながら、「テレビで言ってることと同じだね」などと言ってしまった。

 それから葬儀についても、「志村けんさんと同じだね」などとまたまた不謹慎な発言をしてしまった。「その通り、全く同じなの」と彼女は深くうなづいた。コロナ感染がわかってからは一切会うことは叶わず、亡くなってからもご主人の顔を見ることはできなかった。再会した時は骨になっていて、本当に夫は死んだのだろうかと実感がなかった。現実を受け入れらず、気が遠くなった。それでも今は「あれはあれでよかったと思う」と夫の死を受け入れている。「私も(病気を)持っているから、働けないからどうしよう」と今後どうするかに関心は移ってきているようだ。

 人は外見ではわからないとつくづく思う。私の目からは二人共健康そのものに見えた。話をしてみると、かさぶたが剥がれるように意外なことがボロボロ出てくる。でもひとつ疑問が残った。なぜ彼女は夫が亡くなったのを今まで秘密にしていたのかということだ。それは当時のあの状況では「コロナ」という言葉だけでも皆過敏な反応をしていたからだった。何かとんでもない非難を浴びるのではないかと恐れて、自分の中で夫の死を隠すしかなかった。二重の苦痛を味合うことを避けたかったからだ。

 では、なぜ今は夫はコロナで亡くなったと言えるのかというと、オミクロン株が猛威を振るっている現在では誰もが感染するのが普通だと思える世の中になったからだ。以前はコロナ感染があたかも重罪人でもあるかのように白い目で見られることが多々あった。でも今では躊躇せずに、「コロナにかかっちゃってさ」などと気楽に言えてしまう。驚くべきことに、世の中の人がコロナ感染に対していつの間にか寛大になっていた!私の周りでいうと、歯医者の先生がその代表例だ。受付の人から「先生が濃厚接触者になったので、1週間休みます」と電話を貰って予約の日が2週間も伸びてしまった。それでやっと昨日歯科医院に行ってきた。先生の第一声は「僕自身がコロナになってしまって、御迷惑をかけてすみませんでした」だった。言葉では申しわけないと言ってはいるが、先生は満面の笑みで自分がどんな体験をしたか話したくて仕方がないようだ。家族全員がコロナになって、最初は高校生の息子で部活で感染したらしく、すぐに家庭内に広がった。息子と娘は若いからか一晩熱が出ただけで軽症だったが、50代の自分は六日間も寝込んだことがショックだったという。

 いずれにしても、先生にとって、コロナはもはやインフルエンザと同程度にしか感じないらしい。正直言って、コロナに罹ってあの明るさ?には内心で仰天した。「コロナに罹っても、心配することないですよ」とでも言いたいのだろうか。いや、まさかそんなことはないだろうが・・・。

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