人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

両替の思い出

コロナ前は現地のATMでキャッシング

 来月に迫った海外旅行のための両替で困っていると、先日書いた。考えてみると、滅多にしないが、現地で日本円を両替したこともあった。それは台北で、ガイドブックの情報によると、日本での両替はレートが悪いので、現地の空港の両替所を利用したほうがいいらしい。そのことを一緒に行く姉と義姉のミチコさんに伝えたら、二人共揃って、手持ちのドルがあるから、それを何とかしたいと言い出した。姉は散々今まで海外旅行に行って、金庫に入れっぱなしだった米ドルが相当溜まっていた。ミチコさんも亡くなった兄が使わずに残したドル札があるので、できる事なら、それをお小遣いとして使いたいと言う。二人の意見はもっともだったので、もう使うことはないと諦めていた埃を被って眠っていたドル札が役立つのなら、わたしにとっても嬉しいことだった。

 さて、台北の空港でさっそく姉とミチコさんの米ドルを両替しようとした。姉のドル札、日本円にして3万円相当のドルは台湾元に問題なく両替できた。だが、信じられないことにミチコさんのドル札は突っ返された。なぜかと言うと、ドル札が古すぎるからという理由だった。そんな理屈があっていいものだろうか、新しかろうが、古かろうがお金はお金ではないかと憤慨したが、相手は頑として聞き入れてはくれない。諦めるしかなかった。

 今の私が直面する問題は日本円をユーロに両替することだが、考えてみると、現地で、特にパリでは、一度も両替をしたことがないし、ATMからキャッシングをしたこともない。それはおそらく、クレジットカードを利用するからで、それに美術館の入場料はパスを買ってすでに支払っているからだ。パリではほとんど美術館に一日中入り浸っているので、館内で食事をすることになる。そのせいで、街中のカフェやレストランに行く時間がないのが現実だった。あまりお金を使う機会がない、と言いたいが、使う時はドッと出ていく。たいして美味しくもないサンドイッチに、10ユーロも差し出すのは躊躇するが、我々にはそうするしか選択肢が与えられていないのだから、グウッと我慢する。正直言って、ストレスが溜まることこの上ない。

 コロナ禍直前に行ったロシアでは、モスクワのシェレメチェボ空港にほど近いホテルに泊まった。空港から無料のシャトルバスが出ているというので、そのホテルに決めた。ネットで調べて置いたシャトルバス発着所には実に60番台までもの番号が表示されていて、私が予約したホテルへ行くバスの乗り場は52番だった。夕方、だんだんとあたりが暗くなっていく中、別のホテルのシャトルバスに次々と人が乗り込んでは去っていくのを見送った。肝心の自分のホテルのバスが来ないと気を揉んでいると、やっとバスが来たが、乗客は私一人だった。すると、それからは信じられないことが起こった。なぜかは分からないが、運転手が同じ道を何回もぐるぐる回り始めたのだ。いくら鈍い私でも、彼がわざとそうしていることが分かった。シャトルバス初心者の私をからかっているのはもう間違いなかったが、なす術がないので、おとなしく乗っていた。

 そのうち、ホテルの建物が見えだして、やっとモヤモヤから解放された。翌朝、空港へのシャトルバスに乗って初めて、ホテルが車で5分しかかからないところにあるのだとわかった。お上りさんの私はシャトルバスの洗礼を受けたのだった。でも、まあいい、からかったのだとしても、無事ホテルに送り届けてくれたのだから。ホテルに着いた私は入口にあるATMでルーブルをキャッシングすることにした。手持ちのルーブルでは心許なかった。ロシアのホテルのロビーには必ずと言っていいほど、ルーブルを引き出すためのATMがあった。最初はそれを知らず、空港や駅にあるATMで右往左往しながらやっていた。ATMはたくさんあるが、ロシアのカードでなければ、受け付けてくれない機械が多かった。そのうち日本のカードで引き出せる機種を一目見て判別できるようになった。最初のうちは、キャッシングなんて、と思っていたが、慣れると実に便利で、ほとんど抵抗は無くなった。

 ふと思ったのだが、パリのホテルで、ATMが置いてあるのを見たことがない。もっともハナから利用しようと思わないし、捜そうとしたことすらないのだから、話にならないのは確かだ。

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