人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

わたしの部屋の変遷

今週のお題「わたしの部屋」

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10代の頃のわたしの部屋が一番落ち着く場所で

 考えてみると、子供の頃、それも小学校の頃は、自分の部屋などなかった。クラスの友だちの何人かにはあったようだが、それは勉強部屋と呼ばれるものだった。学校の宿題をやるための机がある場所であり、教科書や文房具、ランドセル等の荷物置き場だった。外国のテレビドラマに出て来るような、いわゆる”誰々の部屋”という個室は別世界の話だった。実際、あの頃の小学生は家で勉強などしなかったし、嫌々宿題をやる程度だった。クラスで勉強ができる子は先生の授業を聞くだけで、すべてを理解できたようで、頭がいい子は運動神経だって抜群だった。子供心にあの子たちは努力してああなったのではない、何もかも持って生まれてきたのだと思っていた。何をやっても卒がなく、立派にやってのけるので、ただただ感心して見ていた。

 そんなわけで、小学校の頃は自分の部屋などなくても困らず、たいして欲しいとも思わずに過ぎた。だが中学生になると、家庭訪問で先生が家に来ることになった。その時に普段使っている勉強部屋を見せて欲しいと言われた。さて、困った、家には私の勉強部屋などというものは存在しない。宿題をやるときは、いつも母屋ではなく離れでしていた。兄たちが昔使っていたお古の机で済ませていた。その部屋もいろいろなものが所狭しと置いてあって、先生に堂々とお見せできるような場所ではなかった。それで、困り果てた母は一発奮起して掃除に取り掛かり、離れの部屋の一角に臨時の勉強部屋を作り上げた。何とか先生に見せるための体裁は整えたので、家庭訪問は無事終わった。もちろん、先生が帰った後はすぐに元に戻したのは言うまでもない。

 その後、すぐに古くなった母屋を建て替えることになり、やっと私にもわたしの部屋ができることになった。部屋の広さは四畳半で、2階にある南向きの日当たりのいい部屋でとても快適だった。だが、田舎というのは、”人の口に戸は立てられぬ”と言うように、いろいろ煩い。例えば、私の部屋は外からよく見えるようで、窓際にある机に向かっていると、「夜遅くまで、勉強していた」だのなんだかんだのと噂になる。信じられないことにその噂がエスカレートすると、「きっとあの子はいい高校に入るに違いない」?なんて言われるようになった。何の根拠もないのに、ただ夜遅くまで起きているだけで、それだけで根も葉もないことを言われるとは!

 だが、その後、幸か不幸か快適に思われた部屋を私は兄に明け渡すことになった。なぜかと言うと兄が結婚したからだ。そのため私は母屋の裏にある離れに追いやられることになったのだが、後からそこが文字通りの”わたしの部屋”になった。離れにある8畳の和室で、日当たりは以前の部屋にははるかに及ばないが、何より落ち着ける部屋だった。近所の人の目にもつかず、私の許可なしでは誰も入れない私だけの場所だった。誰にだって、心が取り込んでいて、そっとしておいて欲しい時がある。誰とも話す気分じゃないときもある、そんな時は仲のいいお嫁さんにだって、私は「今は入ってこないで!」と拒むことを躊躇しない。それができたからこそ、わたしの部屋は唯一無二の安住の地であり、心地よい空間だった。まさにCOZY CORNER だったと言える。

 今思うと、学校が楽しくなかったかというとそうでもない。大人より中学生がまだ楽だなんてとても言えやしないが、自分の部屋に帰ってくると、その日学校であったことをすべて忘れられた。あの頃はテレビはほとんど見ないで、ラジオばかり聞いていた。クラスでも勉強のできる子はながら勉強をしているのだと噂に聞いてはいたが、意外にも友達とラジオ番組について話したことはなかったように思う。あの頃の私の部屋での友だちはラジオで、そのラジオが私を別空間へと導いてくれた。今思うと、信じられないほど、不安な感情が忍び込んでくる余地のないほどの至福の時だった。もう、あんな気持ちには二度とはなれないだろうが。

mikonacolon