人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

つるみって何?

聞きなれない言葉に戸惑う、でもそのうち慣れるかも

 朝日新聞の土曜版に『街のB級言葉図鑑』というコラムが連載されている。先日の言葉は”つるみ”だった。つるみって何?と一瞬思ったが、おそらく、ツルツルしている状態を表わしているいるコトバだろうと見当をつけた。ツルツルと言わずにつるみと言いたいらしい。実はこれ、コンビニの店頭にあった〈旨さ!つるみ!冷やし麺!〉という広告の中で使われていた”つるみ”だった。このコラムを担当しているのは飯間浩明さんという国語辞典編纂者の方だ。専門家の立場から言っても、「ちょっと珍しいことばですね」との感想で、「み」は「そのような感じ」という意味の接頭語だそうだ。

 なので、赤いは赤み、おかしいはおかしみとなって、形容詞に付くが、なんにでもつくわけではない。だが、最近はそうでもなさそうで、想像もつかないような言葉にも若者がつけて使うようになった。例えば、眠いを眠み、とても深く分かるを分かりみが深い、などと表現するのだ。それで、つるみもそのようなものかと思ったら、そうでもなくて、業界では以前から使われていた。1994年の日本食糧新聞で、”太いつるみのある麺”とちゃんと出ているのだ。

 そうなると、もはや当方にとって、聞きなれない”つるみ”も許容範囲で、慣れるしかないのではないか。本当は少し違和感を感じても感じなくても、そんなものなのだと気にしないふりをするに限る。変にこだわりがありすぎて、気分が悪くなるくらいなら、いっそのこと容認してしまった方が楽ではないか。だが、やはり気になってしまう、”眠み”って、いったいどういうこと?なんでそんなに「み」をつけたがるのか理解に苦しむのが本音だ。

 折も折、日経新聞の一面にあるコラム『春秋』にも”「み」が増殖中だ”と出ていた。こちらは頻出単語でお馴染みの「やばい」が「やばみ」、「つらい」が「つらみ」に進化を遂げているようだ。つらみって、当方が知っているのは”恨みつらみ”だからそれとは少し意味合いが違いすぎるようだ。若者にあまり縁がない、いや周りにいっぱいいるのだが、面と向かって接する機会がないし、最近は他人の話を盗み聞きする機会も皆無だから仕方がない。コロナ前はあんなに、いくらでも聞き耳を立てていられたのに、今となっては若者の生態は深い霧の中だ。

 では一体全体、何を証拠に”増殖中”などと言えるのか。いや、いったいどこで「み」が勢力を伸ばしつつあるのか。そんな疑問がせわしなく頭の中を駆け巡った。コラムによると、SNSを覗いてみると、一目瞭然だと指摘している。「やばみ、半端ない」とか「つらみの塊」などという「み」が付く表現のオンパレードで、その空間では「み」は確固たる地位を築きつつあるようだ。私のように、その言い方はちょっと変じゃないんとか、その音はなんだか気持ち悪いからやめてなどとは誰も言い出しにくい雰囲気なのだ。最初に誰が使いだしたのかは分からないが、一見変な言葉に誰かが共感すると、それはたちまち拡散し、立派に市民権を持ってしまうのかもしれない。変だけど、今風な”新語”のようで、なんだか良さそうに感じてしまう。いや、私の中では断固としてあり得ないが。

 さらに驚いたのは、「食べたみが溢れる」という言葉で、なんじゃこりゃ!?と面食らった。どういうこと?とはてなマークが頭の中をいくつも飛び交うが、「食べたい」が極まった感覚をつぶさに表しているようだ。これって正直言って、言葉の乱れの現象のひとつに過ぎないのではないか。あるいは言葉を自由自在に操るというか、いわゆる言葉遊びを楽しんでいるかのようにも見える。コラムでは「日本人はこの種の持って回った言い方が好きなのだ」とあって、何かに似ていると指摘していた。それは昨今の岸田首相がよく使う「検討を加速します」という表現で、すごく意味があることを言っているようでいて、抽象的で曖昧で中身がないのだ。

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