人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

正月休みの後、やる気が出ない

今週のお題「やる気が出ない」

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 無理してやる気を出そうとしても身体が追いつかなくて

 以前お正月に友だちが、電話で「また明日から仕事かあ、嫌だなあ」と呟きました。それを聞いた私は「どうしちゃったの?」と言わずにはいられませんでした。なぜなら、彼女の職業は保育士で、天職だと自他共に認めていたからです。「仕事が楽しいはずなのにどうして?」彼女が言うのには、いくら仕事が好きでも、今はもうちょっとお正月のダラダラ感に浸っていたい気分なのだそうです。一年のうちで一番ホッとできて、ゆっくりできる至福の時間は今しかないのです。その大事な時間がもうすぐ終わってしまうのが耐えられない。そんな気持ちが強すぎてやる気が出ない、つまり仕事に行きたくないと思ってしまうのでした。そんなことを言っていても、翌日になれば、たちまち仕事モードに切り替えて、やる気を出していつものルーチンをこなすのです。

 この友人の例のように、仕事が好きでも正月モードから抜け出すのは至難の業なのです。ましてや、自分の仕事が天職でも何でもなく、なんとなくしている仕事ならなおさら抜け出すのは辛いものがあります。それには年始年末の過ごし方の内容によっても、その辛さには程度の差が生じてきます。私自身はここ数年、実家で年末年始を過ごすようになりました。それというのも兄がガンで亡くなってしまったので、実家で兄のお嫁さんは一人になりました。犬一匹、猫一匹と気儘に暮らしていますが、ひとり暮らしなので心配です。子供もいないので誰も訪ねてくる人もいないのではと思って、一緒に過ごそうと実家に行くのです。とまあ、知らない人にはこんな言い訳をするのですが、実際は何をするわけでもないのです。つまり、自分が骨休めに行くのです。日常生活では不可能なことをするために、羽根を思いっきり伸ばしに行くわけです。

 まるで嫁いだ娘が実家に来て甘えるように、そんな感じで実家に行くのです。そして、人に話したら羨ましがられるか、あるいは呆れられるか、どちらかに決まってるくらい何もしないのです。ご飯作りません、洗濯しません、こたつに座ったままほぼ動きません。心も身体もぐうたらでたるみ切った緩い生活です。このままだとやめられなくなると感じてしまう生活、このような状態を表現すると今流行りの言葉で言うと「人間やめたくなる」だそうです。私の場合は病みつきになるのではなくて、あくまで期間限定なのです。何よりも幸せなのは上げ膳据え膳で殿様気分になれて、人の手料理が食べられることです。テレビだってゆっくり見られるし、犬や猫と飽きるまで遊ぶのが楽しいのです。忙しくて気になっていたのに読めなかった本や漫画も時間を気にせず楽しむことができます。 

 唯一外出するのは、毎朝喫茶店にモーニングサービスを食べに行くときぐらいです。さすがの私も、お嫁さんに気を使って「食べに行こう」と提案すると車で連れて行ってくれます。誰だって朝はゆっくり寝ていたし、ましてや年末年始はなおさらです。実家に居る間は早起きはしないで、郷に入らば郷に従えで寝たいだけ寝ると言いたいのですが、やはり気になって起きてしまいます。何が気になるかというと、ニューイヤー駅伝箱根駅伝です。寒い中で選手が頑張る姿を見ているのが好きなのです。駅伝にあまり興味がないお嫁さんも、気が付くと一生懸命応援して、夢中になって見ているではありませんか。どうやら、駅伝は人を巻き込む魅力があるようです。

 さて、時間というものは自分の意志とは関係なく過ぎるもので、私の年末年始の蜜月にも終わりがやってきました。このまま実家に居たい気持ちと帰らねばという義務感とで葛藤が少しはあるのですが、そこはあっさりと諦めます。そして、一転して頭の中は帰ってからの段取りや仕事のことでいっぱいになります。駅に送ってもらうために車に乗ったら、もう通常モードに戻ってしまうのです。電車と新幹線を乗り継いで、自分の家にたどり着いたら、仕事モードに切り替わります。しかしながら、無理やりテンションをあげようとしても、実際の行動は自分でも恥ずかしいほどちぐはぐです。やる気を出そうとして自分を追い込むのに、やる気がないような情けないことになってしまうのです。一言付け加えるなら、今日のブログはなぜか、一向にやる気が出ませんでした。

mikonacolon