人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

年末年始の新幹線は別世界

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年末年始に新幹線に乗ってみたら

 年末の予定がすでに決まっているところへ、急に自粛要請を出されても変更の選択肢はありませんでした。12月30日は例年の3割程度の予約と聞いていたのに、なんと13号車の座席でした。普通は6号車か7号車あたりと予想していたのに意外でした。ネットで1カ月と1週間前から申し込んだのに「なぜ?」と疑問に思っていたのですが、当日列車に乗ってみてその理由がわかりました。乗客がすべて窓際の席だけにしか座っていないのです。車内にあるニュースのテロップには「感染症対策のため、座席をあけている」とのことでした。トイレに行くついでに、車内の様子を見てみると、誰も弁当など食べていないし、おしゃべりもしていません。私と同様で一人の人がほとんどだからです。

 そんなわけで、1月5日の帰りの列車はまた一人で気楽だとばかり思っていたのです。列車の入り口のドアが開いたので、自分の座席の方に近づいて行くと、信じられないことに、誰かのコートが置かれていました。私はいつものように通路側を指定したのですが、隣には女性が座っていたのです。その人もきっと「ええ?どうして?」という気持ちだったと思います。あたりを見回すと、どこの座席も一人しか座っていないか、あるいはがら空きなのです。今のご時世で隣に人がいるのは耐えられません。おそらく私の隣の人も同じ意見のはずです。どう考えてみても何らかの決断をしなければならないのは私なのです。斜め後ろの3人席が空いているので、そこに移ろうかとも思いましたが迷いました。

通路側を指定したのは失敗

 前方の3人席には小さな子供を連れた家族が談笑しています。あちらは自由で快適なのに、私ときたら不自由で、知らない誰かと隣り合わせです。このまま1時間30分も我慢しなければならないのか、などと真剣に考えていたなんて、我ながらおめでたいではありませんか。人生の持ち時間は限られているのに、理不尽な目に合って嫌な気分を味わうことになるとは!それにしても「座席を調節しています」だなんて言っておいて、隣り合わせにするなんていったいどういうことなのか。でも怒っても何も解決しないのです。

 考えてみると、以前にも指定席を取ったときに失敗したことがありました。私はどちらかと言うと、窓側よりも通路側が好きなのです。なぜかと言うと、トイレに行くときに便利だし、何より好きな時に自由に動けるからです。しかし、その選択は時には理不尽な思いをすることにつながるのです。繁忙期でない場合はJR側は窓際から座席を取るらしく、時にはガラガラで窓際の席のみ人が座っている時もあるのです。そんな時に通路側を指定すると、確実に誰かと隣合わせになってしまうのです。そのことをすっかり忘れていました。年末年始ということで、何も考えずに通路側の席を取ってしまいました。

すぐに動ける自分になることが必要では

 私がウジウジどうしようか迷っていたら、そこに車掌が通りかかりました。明らかに座席のチェツクをしてるようなので、空いている座席に移っていいか聞いてみたのです。タブレット端末で調べてもらったら空いていたので、すぐに移れてホッとしました。私の隣の席の人も、考えてみれば、いわゆる不運な人、ついていない人です。彼女のところにだけ人が来たのですから、理不尽な事態です。専門家によると、新幹線に乗るときの対策としては、隣に人がいる座席は避けるのが必須でした。いくら車内の換気ができているので安心ですと言われても納得できません。

 今回の失敗から学んだことは、理不尽な事実を我慢せずに、すぐに行動できたらモヤモヤせずに済んだのにということです。空席ばかりなのは一目瞭然なのだから、いくら自分の座席でも座るべきではなかったとも思うのです。でも結果的には自分は規則に従うことしかできませんでした。これからは周りの状況を素早く察知することが、コロナ禍においては必須事項なのだと実感しました。

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