人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

もう嫌だぁ~!と叫びたい

今週のお題「叫びたい!」

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インカ帝国発祥の聖地として伝わる太陽の島。チチカカ湖の東部、ボリビア側にある。NHKまいにちスペイン語テキストから。

自分を宥め宥めて日を送っていたら、叫びたくなって

 先日部屋の整理をしていたら、去年の新聞の切り抜きを発見しました。気になった記事や後でもう一度ゆっくり読み返したいコラムなどをスクラップして置くのが習慣になっているのです。そんな素材が数ある中で、ふと目に留まったのがある短歌でした。それは「嫌な奴と 乗り合わせていて 終点が 待ちどおしい バスのような時代」明らかに読み手は「もう嫌だぁ~!」と叫びたい心境なのです。心の叫びをユーモアというオブラートに包んで笑い飛ばしたいのでしょう。この歌が載っていたのは去年の7月なので、たぶんその頃の作者は来年の今頃、つまり現在においては、まさか今のような事態が継続していようとは思ってもいなかったはずです。この歌の選者も「コロナ禍がなかなか終息しない、(3月が始まりだとしたら4か月目の)憂鬱さを面白い比喩で表現した」とその斬新な視点を褒めていました。

 コロナ禍は不本意ではあるが嫌な奴と少しの時間一緒に居なければならない、我慢を強いられる忍耐の時代のようです。すぐにでも降りて逃げ出したいのはやまやまなのですが、そうも行きません。目的地は終点なのですから、まあ、今の状況では何とかやり過ごすしかありません。嫌な奴だけど話ぐらいはしないと間が持ちません。それにこの状況では沈黙は金などではなく、居心地が最高に悪くて精神的に耐えられないのです。それで先手必勝とばかりにたわいもない話題を振って、かみ合わない世間話をするよりほかないのです。

 ただ、この歌には「終点が待ちどおしい」とあるのですが、一年以上たった今の時点では終点がないのと同じです。つまり目的地がないバスに乗り合わせたようなものです。バスの窓から外を見ても、靄が掛かっていて視界不良です。いつ晴れるともわからない状況でも嫌な奴と付き合っていかなければならないのです。まさに出口の見えない無間地獄に嵌ったようなものです。そうなると、目の前に居る相手を”嫌な奴”だと決めつけていると気分が悪くて堪りません。それで仕方なく、”どんな人間にもいいところの一つや二つはある”などという格言を思い出して、何とか相手の良い所を探そうとします。嫌な奴をまあ、いいかと許すにはその人のいい点だけしか見ないに限るなどと誰かが言っていたような気がします。

 正直言ってあまり気が進まないのですが、大人なのだからと自分に言い聞かせて自分なりに努力します。そうやっているうちに、相手の意外な面を知ることができたり、あるいは、少し心の距離が縮まったかのように錯覚することがあります。たいてい自分が嫌な奴だと決めつけている相手は不思議なことに、以心伝心なのか自分と同様に思っているようです。それは相手から直接言われなくても、二人の間に流れる空気から伝わってくるのです。だから相手と上手くやって行くためには、偏見を捨てて今までの自分の考え方を変える必要があるわけです。

 さて、私もコロナが流行る前と比べると、全く違う思いを感じながら生きています。まずは、日常生活でルーチンとなっているすべての習慣が大切に感じられるのです。つまり、朝決まった時刻に起きて早朝に散歩に行く、とか、帰って来たらブログを書いて一日を始めるのが心の支えになっているのです。毎日やらなければならないことをやるのが、それができたということが心の平安に繋がるのです。以前はたまにサボることがいい意味で気分転換になっていました。でも今はサボることがあまり魅力的なこととは思えなくなってしまったのです。これはもう、「どうしちゃったの?私!」なのですが、気分があまり乗っていなくても身体が自然と動いてしまいます。

mikonacolon