人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

通販のおせちで、また失敗

あんなに、もう買わないと決めていたのに

 昨年末、帰省した時、義姉のミチコさんが通販で買ったおせちをテーブルに並べた。3段重ねでなんだかおいしそうに見えて、今年は当たりかと期待したが、すぐにハズレだとわかってがっかりした。実をいうと、ミチコさんから電話で「通販でおせちを買ったよ」と報告を受けたとき、私は「ええ~!?どうして?」と呆れて開いた口が塞がらなかった。なぜなら、前年に買った通販のおせちでえらい目にあったからだ。その時はまだ叔母も健在で、3人揃って実家で年越しをすることにした。それで、ミチコさんもせっかくだから、おせちもあった方がいいと考えて注文することにしたのだ。そのおせちというのが、具材がすべて真空パックに詰められていて、一つ一つ封を開けなければならなかった。そのまますぐに食べられると言うわけには行かず、どうしてこんな物を買ったのかと、内心思った。

 普通に考えて、袋を開けて具材を出すだけなのに、何を大げさなことを言っているのかと思われるだろう。だが、黒豆だとか、たつくりだとか、くりきんとかのパッケージはどれもカチコチで、ハサミを入れたはいいが、それからがひと仕事だった。具材とフィルムがぴったりとくっつきすぎていて、精一杯の力を出して引っ張るのだが、ビクともしない。こんな単純作業なのに、馬鹿みたいにやけになって、力を込めてやって初めて、何とか最初のひとつを開けることができた。たった一つ開けるのに、こんなにもてこづるとは、いやはや想定外だった。だが嘆いてばかりもいられない。道は遥か遠い、まだ具材のパックが20個近く残っているのだから。それらすべてを開けて、お重に滞りなく詰める事、それがミチコさんから頼まれたミッションだった。変な言い方だが、その仕事は紛れもなく苦行で、私は疲れ切った。お重になんとか詰めたおせちは見た目は取り繕っていたが、3人のうちの誰一人手を付けなかった。唯一のお客様である叔母も、おせちには無関心で、もっぱらミチコさんの手料理の方を食べていた。甘辛に味つけしたぶりの煮物やピリ辛こんにゃくはおばの大好物だった。

 「もう、あんなおせちは買うのはやめてね」と口を酸っぱくして言っておいたはずなのに、それでもミチコさんは通販のおせちを買った。どうしてと問い詰めると、「だって、テレビで見ていたら、美味しそうに見えたから、ついつい・・・」とこともなげに言う。さらに、「今度はあんな真空パックではなくて、ちゃんとお重に入ってそのまま食べられるのを買ったから大丈夫」と付け加えるのを忘れなかった。私はそれならまあいいかと納得し、どんなおせちだろうかと淡い期待を抱いた。

 さて、実際に通販で買ったおせちとご対面してみると、正直な感想は「食べられるものがない!」の一言だった。そりゃ、高級食材のアワビの味付けしたものやイセエビだってちゃんと入っている。だが、その他はスーパーに売っている酒のつまみセットと何ら変わりない。要するに、ご飯のお供になるような食材が見当たらない。唯一食べられそうなものをあげると、焼きたらこだが、それも薄いスライス3切れほどで、何とも虚しい。おせちと一緒に入っていた、美しいカラー写真の説明では、イクラもあったはずだが、見当たらない。よく見てみたら、お重の容器の真ん中に星形のにんじんがあって、その下を見たらイクラが3粒入っていた。実物と写真が似て非なるものだった。あ、そうだ、魚の煮つけもミニサイズのものが3切れほど入っていたが、プ~ンと鼻につく嫌なにおいがして食べられなかった。魚の質が悪いのは確かだった。

 ミチコさんの話では、このおせちは2万円のを半額で買ったのだから、まあまあいいものなのだよ、とのことだが、本当のところはわかりはしない。そうはいっても、ミチコさんはやはり、「たいして食べる物がなくて、失敗だったね」と歎いた。それ見たことか、などというつもりはさらさらないが、人は毎日のように宣伝を見させられていると、そのイメージが頭に刷り込まれていくものだ。なので、ほんの拍子に「買おう」と思ってしまうのはどうしようもないことなのかもしれない。

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