人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

『楽園』をどうしようか、迷う

我慢しても読むべきか、それともすっぱり諦めるか

 私は今とても迷っている、今読んでいる本をどうしようか。その本は2021年のノーベル文学賞を受賞したアブドゥル・グルナの『楽園』で、この本のことは新聞の新刊書の広告を見て知った。何と初の邦訳書と書いてある。これは是非とも読まねばという気になった。遠いアフリカのタンザニアを舞台にした物語で、主人公はユスフという少年だ。この少年の歳ははっきりとはわからないが、おそらく小学校の低学年ぐらいではないだろうか。そう判断したのも、彼は両親の激しい夫婦げんかに頭を抱えて、いつもの激しい嵐が通りすぎるのを待つしかなかった、という記述からだった。ユスフはただの子供ではなく、皆が口々に、「こんなきれいな子がいるとはねえ」と驚きの声を上げる存在だった。

 ユスフの父親は宿屋を経営しているので、裕福な家庭かと思ったらとんでもない。ある日、父親は突然、「おじさんについて行きなさい」」とユスフに家を出て旅に出るように促す。そのおじさんとは常連客のひとりで、ユスフは「おじさん」と慕っていた。おじさんは宿屋に来るたびにユスフにお土産をくれたからだ。ユスフは父親に言われるままにおじさんについて行って見ると、そこは何かの店で、連れてこられたそばから働かされることになる。店にいる青年に何か言うと、すぐにおじさんは行ってしまった。要するに、ユスフは父親の借金のかたに売られたというわけだ。そこで、私はなあ~んだと、がっかりした。宿屋を経営しているというからには、貧困とは程遠い家庭だとばかり思っていたからだ。一見裕福そうに見えた陰で、実は山ほどの借金を抱えていたのだ。

 ユスフは青年から、真相を聞かされて、胸が潰れそうになる。「僕はいったいいつまで働けば自由になれるの」と無邪気に尋ねると、「さあ、見当もつかないなあ」と即答されて、返す言葉が見つからない。だが、ユスフには悲嘆にくれている暇などなかった。店でのやるべき仕事を青年から教わって、ひたすら働き、夜は店の前の空いているスペースで眠った。ここでまた疑問が湧く。まるでホームレスのように外で眠るなどということがあるのだろうかと。それに、外なんかではゆっくり眠れるわけがないという素朴な疑問が湧いてくるのは当然だ。やはりそうなのだ、野良犬が何匹もやってきて、ユスフは毎晩のように襲われる。昼間の労働でボロボロになった身体を休めようにも、夜は野犬との闘いが待っていた。

 しばらくして、ユスフは商人たちの旅のキャラバンについて行くようにおじさんから言われる。「お前もそろそろこの世界がどんなものか見ておくのもいいだろう」などと、声をかけてくれる商人もいた。未知の土地に行けると心躍らせるユスフだが、そして読者である私もまた、雄大なアフリカの大地を旅できると内心喜んでいたのだが、ものの見事にその期待は裏切られる。何のことはない、またそこでもユスフはおじさんに置いて行かれる。「ここにしばらくいなさい」とだけユスフに言うと、おじさんはまた消えた。要するに、雇い主と働く場所が変わっただけだった。となると、ここまで我慢して読んで来た私にもふとよからぬ考えが浮かんできた。それは、いつになったら、未知のアフリカを体感できるようなストーリーに出会えるのかということで、この先不安でしかない。

 考えたくもないが、まだまだこの本のページはいくらでもある。この先信じて読み進めて行けば、必ずや道が開けるという保証でもあればいいのだが、残念ながらその予兆はない。さて、すっぱりと諦め、図書館にさっさと返し行って、別の本を借りて忘れるしかないかとも思う。タンザニアと言うと、朝日新聞に載っていた文化人類学者の小川さやかさんのエッセイを思い出す。小川さんはフィールドワークのためタンザニアで古着の商売をしていた。地元の人たちから商売のイロハを学び、彼らと生活を共にし、自分の研究に役立てる活動をしていた。その小川さんによると、彼らはずる賢くて、抜け目がない人たちだが、驚かされたこともあるという。それは、自分のことしか考えないと思っていた彼らが、仲間が窮地に立たされると、放って置くどころか、率先して皆で助け合うということだった。彼らにとってはそれが当たり前だが、日本人にはありえない発想だったからだ。

mikonacolon