人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

妹を拒否する子に親はどう向き合えばいいのか

克服したかのように見えたが、それは思い過ごし

 昨日、ブログに親と子どもとの関係が変わると評判のフィリッパ・ペリー著の『親に読んでほしかった本』の感想を書いた。それでふと思い出したのは、親戚の娘夫婦のことで、彼らには7歳と5歳の娘がいる。問題なのは、その7歳になる小学生の子供のことで、もう完全に妹のことを認めて、受け入れているかのように私には見えた。お正月に家に遊びに来た時、姉妹で楽しそうに遊んでいた。ただ遊んでいたといっても、彼女たちの間には父親が座って、仲を取り持っていた。二人共”すみっこぐらし”というキャラクターが大好きで、背負っていたリュクサックもそうだったが、ぬいぐるみも持ってきていて、しばらく父親と3人で遊んでいた。

 はた目には微笑ましい家族の風景のように見えたが、突然その穏やかな空気は一変した。7歳の子が「もう~!」と叫び声をあげたかと思ったら、顔を上げられず、そのまま唸っている。「どうして、○○ちゃん(妹のこと)に貸さなきゃいけないの。全部私のものなのに・・・」と納得がいかないらしい。つまり、父親が妹に5,6個あるぬいぐるみのうち、どれかを手渡して、使わせていたのが気に入らないらしい。そうなのだ仲良くしてしているように見えても、やはり心の奥底では、妹の存在を拒否していたのだ。すると、娘夫婦は2人して、7歳の子を説得しにかかった。父親は「自分はぬいぐるみをいっぱい持っているのだから、一つくらい妹に使わせてあげてもいいでしょう」との理屈で子供に理解させようとした。その一方で、母親は、「冷静になって」などと、まるで大人にでも言うようなことを言って、子どもの感情を押さえつけようとした。このような場面において、そんなことを言って、いったい何になるだろう。

 実は母親の職業は保育士で、以前は幼稚園の先生だったが、今は保育園に勤めている。私から見ると、この時の彼女はまるで先生そのもので、あれが我が子に対する接し方かと呆れてしまう。そもそも普通の母親は子どもが駄々をこねたら、我を忘れて取り乱すはずだ。理屈ではなく感情が優先するものだ。中には「またか!」と静観する強者もいるにはいるが、そんな人は少数派だ。ここでいう「駄々をこねる」というのは、あくまで問題にしてもどうしようもない問題をわざわざ取り出して騒ぎ立てることで、この状況をどうやって収拾しようかと親は頭を悩ますのが常だ。

 どうやら彼女は家に帰っても、我が子を前にしても、以前として先生モードを崩さないようなのだ。昔よく見ていたドラマ『3年B組金八先生』で武田鉄也さんが演じた先生は学校では理路整然とした理屈で生徒を指導しているのに、家では子供の一挙手一投足に敏感に反応して取り乱す平凡な父親に過ぎなかった。ところが、彼女の場合はまるで24時間先生モードとしか思えない態度で、全く動揺する気配もなかった。駄々をこねても何も変わらないわよ、とでも言うように、我が子を支配しようとしていた。

 思えば、彼女の子供は2歳で妹が生まれたとき、恐ろしいほどの拒否感を示した。「私は赤ちゃんなんていらない。家には私だけが居ればいいの」と烈しく拒否して、周りを驚かせた。だがそうは言っても、普通は次第に諦めて受け入れるものだとばかり大人は考える。母親は先生モードで感情など問題にしないタイプなので、託せるのは父親だけだった。その父親がまた保育士の母親よりもはるかに子供の取り扱い方が上手い。子どもが好きなようで、子どもと遊ぶのが苦ではないらしい。それで十分こどもに寄り添えているように思えたが、今回『自分の親に読んでほしかった本』を一読してみると、それだけでは十分ではなかったのだと痛感する。

 やはり、彼も子供の感情に向き合う方法を知らなかったとしか言えない。本当の意味で、一番大切な子供の感情を受け止め、共感し、宥めて、子どもの強い拒否感を少しでも和らげてあげられたらよかったのだ。一番嫌な妹がいるという現実は代えられないが、子供の気持ちを楽な方に変えることもできたのではないかと思いたい。

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