人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ラトビア

私にとっては、どうしても行く必要があった国

 先日の日経新聞の日曜版に載っていた小川糸さんのエッセイのテーマはラトビアだった。ラトビアバルト三国のひとつで、小川さんにとっては”魂のふるさと”なのだと書いている。「この地に何度も足を運ぶうち、人々の心の美しさと物の考え方の賢さにすっかり魅了された」そうで、なかでも6月の最初の週末に開かれる”森の民芸市”ではラトビアで手造りの品を集めたクラフトマーケットが開かれる。「ラトビアでは、代々親から子へと手仕事の技が受け継がれてきた。自分たちの住む家も、着る服も、口にする食べ物も、基本は自らの手で生み出す。今でこそ、買う行為が普通に行われているが、ちょっと前までは何もかも手作りの世界だった」ので、今でもラトビアでは手仕事が盛んだ。小川さんは、「彼らは日本人が失ったものを今も大事にしている」から、なつかしさもあって、これほどラトビアに惹かれるのかもしれないと綴っている。

 考えてみると、私たち日本人の生活はお金があるのが大前提で、お金がなければ無力で、それは“死”に直結する。なんとも情けないことだが、お金で物を買う行為ができなければ、その日を生きながらえることもできない。何かその辺にあるもので、例えば森の中で自力で家を建て、食べ物を探して、何とか生活する方法など、誰からも教えられていないのだから。もしも、小川さんが書いていたように、自ら生み出す方法を知っているとしたら、どんなに心強いだろう。まさかの時の非常手段でなく、常にそれが身近にあって、日常生活に溶け込んでいるとしたら素晴らしいことだ。

 ラトビア、それは私にとってはどうしても行く必要があった国であり、場所だった。十数年前にロシアに行こうとして、壁にぶち当たった。とりあえず本屋から買ってきたばかりのガイドブックを読んでいたら、「現在ロシアへのビザは日本では入手不可能」との文面を見つけたからだ。つまり、ロシア専門の旅行会社に頼むしかなくて、その費用はびっくりするほど高額になるというのだ。その瞬間、ロシアへ行きたい気持ちが見る見るうちに萎んでいくのがわかった。もはや諦めるしかないかと暗い気持ちになった時、ガイドブックのぺージに小さなコラムがあるのを見つけた。それは旅行者からの役に立つメッセージで、「ラトビアでビザを取って、ロシアに行きました」と書いてあった。

 私はそれを”渡りに船”と受け取って、ラトビアに行こうと決心した。と言っても、ラトビアがいったいどこにあるのか、どんな国なのか全く分からないので、まずは地図帳を開いてみた。ラトビアはロシアのお隣の国で隣はエストニア、さらに海を隔てるとフィンランドがあった。なので、フィンランドと言えば、フィンランド航空がいいと勝手に判断した。そこからフェリーでエストニアのタリンに行き、さらにバスでラトビアのリーガまで行った。ホテルで一泊し、朝一番に旅行社が開くのを待って、ビザの受付を済ませた。次の日にビザを受け取るまでの間、時間があったのでリーガの街を散策した。空腹を感じて、とりあえず入ったインドカレーの店はタリンと比べると自分の目を疑うほど値段が安かった。タリンの物価はヨーロッパ並みなのに、どうしてここはこんなに安いのかと仰天したのを覚えている。それから、ガイドブックに載っていた広大な食肉マーケットというか市場に行ったら、写真で見た通りの豚や牛が丸ごと一頭吊り下げられていて、ギョッとさせられた。残念なことに、私にとってのリーガはこの程度の薄っぺらな印象しか思い浮かばない。

 今思うと、ラトビアのリーガは飛行機でも行けたはずだが、なぜ陸路でバスを選んだかと言うとそれにはちゃんとした理由がある。要するに、当時は飛行機事故が多発していて、それは大型機ではなくて、比較的短い飛行をする小型機だったからだ。正直言って飛行機が怖かったので、安全安心を優先して、時間が掛かってもいいからバスを選んだだけのことだ。

mikonacolon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラトビア、それは私にとってはどうしても行く必要があった国であり、場所だった。

 私はそれを”渡りに船”と受け取って、ラトビアに行こうと決心した。と言っても、ラトビアがいったいどこにあるのか、どんな国なのか全く分からないので、まずは地図帳を見てみた。ラトビアはロシアのお隣の国で隣はエストニア、さらに海を隔てるとフィンランドがあった。そうか、まずはフィンランドに行って、それからラトビアの旅行社