人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

人の臨終に立ち会ったら

思いもよらない場面に遭遇、未だにその余韻が

 先日実家にひとりで暮らす義姉のミチコさんから法事のことで電話があった。6月に予定していた兄の法事の日にちが変わったことを知らせるためだった。相変わらず明るい声で話していたが、急に話題がお兄さんのことに及んだ。ミチコさんには4人のお兄さんがいる。そのうちの3番目のお兄さんが亡くなって、葬儀を済ませたばかりだというのだ。でも、ちょっと待って、確か、お兄さんは認知症の症状が進んで、もう家族では面倒見切れなくなったので、去年施設に入られたばかりだ。認知症ではあるが、身体はどこも悪いとは聞いていない。それなのに、どうしてそのお兄さんが、急に亡くなったのだろうか、とこちらは訝しく思った。 

 すると、実はがんも見つかっていたが、放射線治療のおかげで小さくなって心配はなかったということだった。では、いったいどうして、お兄さんは突然亡くなったのか、との疑問が残るが、それはよく耳にする高齢者が罹る肺炎が原因だった。そのため、お兄さんはあっけなく帰らぬ人となった。

 人が亡くなったと聞くと、あまり関わりのない人だと、「ふ~ん、そうなのか」となるが、肉親や親交が深かった人となると、悲しみのどん底に突き落とされる。ミチコさんにとって、亡くなったお兄さんは兄弟4人のうちであまり、仲が良くなかった人ではあったが、そこは兄弟なのだから、他人とは違うから複雑な心境なのだろう。

 特筆すべきは、ミチコさんがそのお兄さんの臨終に偶然出くわして、さらに、その死の一部始終をまじかに見させられたことだ。その日、ミチコさんはすぐ上のお兄さんから誘われて、一緒に施設に立ち寄った。ところが、お兄さんはいつものように元気な姿ではなく、肺炎を起こして、ベッドで寝ていた。口を開けて、ハアハアと息が荒く、肩で息をして、とても苦しそうだった。ミチコさんはお兄さんの苦しそうな様子を目にして、何とかならないものかと胸が潰れそうな思いだった。「ええか、ええか。大丈夫か」と心の中で叫びながら、病人の苦しむ様子を見守るしかなかった。どんなにか怖かっただろう。施設の人を呼ぼうか、どうしようかと迷ったが、呼び出しのベルがどこにあるかもわからなかった。その施設は延命治療をしない方針らしく、そのせいか、あんなに苦しんでいるにも関わらず、看護師が付いていないのだ。

 ドキドキしながら、もう無理と思いながら、病人の様子を見守っていたら、そこにお兄さんの息子夫婦がやって来た。お嫁さんは元看護師らしく、すぐに施設の人を呼んでくれた。医師が来て、お兄さんの口元に酸素マスクを押しあてた。すると、お兄さんは大きく開いていた口をつむって、急におとなしくなった。あれ、どうしたのだろう、とミチコさんは不思議に思ったが、それからは静かなままで、眠っているようにも見えた。医師が呼吸をしているかどうか確かめると、もうお兄さんは亡くなっていた。

 そもそも、ミチコさんはいつものように施設に「ちょっと、顔を見に行く」程度のつもりだった。まさか肉親を看取るだなんて、露ほども思ってはいなかった。それも、常日頃からあまり良く思っていないお兄さんをである、こう書くといがみ合っていたのかと誤解されそうだが、第三者の私から見ると、いたって普通で、水面下での心理戦が行われていたのだろう。そんなお兄さんの臨終に立ち会うことになったミチコさんの胸中はどんなにか複雑だろう。ミチコさんが私に電話をしてくれたのはまだ亡くなってから、1週間も経っていなかった。電話の声からはミチコさんの戸惑いは伝わってこないが、まだ生々しすぎる。お兄さんの死の余韻に包まれて、日々過ごしているミチコさんは、楽観的な性格ではあっても、何も手に着かないようだ。

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