人生は旅

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ピアノ教師の愚痴

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ピアノを教えていると、子供の事情が見えてくる

 TBSラジオの「宮藤さんに言ってもしようがないんですけど」を聞いている。先日はピアノ教師の女性の愚痴を聞いて、とても考えさせられた。その先生の話によると、「レッスンに来ると床に横たわって、お昼寝の時間に当てようとする子がいるんです」というから驚く。だいたいが子供がレッスンに来る時間は、学校が終わって基本的にお腹が空いている。話を聞いてみると、心身共に疲れてしまっているようだ。疲れている原因を尋ねたら、学校ですごく嫌なことがあったらしい。その原因を具体的に教えてくれるので、こちらも「それは辛いねえ」と同情した。可哀そうに思って気が付いたら、おにぎりを握っていた。子供がおにぎりを食べている間に、こんな曲もあるんだよとピアノを弾いてあげた。これじゃあ、まるで自分のピアノはBGMだ。お握りをよその子のために握っている自分に思わず、「私は、いったい何をしているんだろう」と笑ってしまった。だが子供にとってはピアノのレッスンは癒しの時間だ。

 子供のためにボランティア精神を発揮している当の自分はウィーンに留学した経験もある。国際コンクールでの受賞履歴もある。なのに何でこんなことをと苦笑い。宮藤さんにも「この華々しい略歴をちゃんと見せといた方がいたほうがいいですよ」言われてしまった。保護者の方も本当のことを知らない人が多いらしい。

 子供は疲れていても構わずピアノを習いに来る。先生に自分の気持ちを聞いて欲しのもあるし、ストレスを発散したいのだ。あるとき子供が本当に寝てしまったことがある。その時はちゃんと毛布を掛けてあげたら、そのことにえらく感激していた。こちらとしてはそれぐらいのことで感動することが意外だった。それでもたった5分程度ではあっても、子供ががぜんやる気になる時がある。こちらとしてはその時を逃さないで集中してパアッと教え込む必要があるので必死になる。その瞬間を利用すると、子供は不思議なことちゃんと曲が弾けるようになる。だからギュウギュウ詰め込むようなことはしなくていい。

 思えば、自分が教えている子供は皆忙しい子が多い。習い事がいっぱいで、学校で勉強して、塾にも行って、ピアノでも頭を使っていたら疲れてしまう。だからこんな頭を使うことをやりたくないのが本音なのだ。だからこそ、疲れない、できるだけ楽しいレッスンを心がけている。「そんなに疲れるのなら、やめれば?家でお昼寝してればいいじゃない」と言ってしまったこともあった。その時の子供の反応に目から鱗だった。「辞めるのは嫌だ。こう見えてもけっこう達成感があるんだよねえ」。その時気づいたことがある、それは一人ひとり自分の思い込みで判断してはならないということだ。要するに子供は音楽が好きなのだ、だからこそピアノ教室に来ている時間だけは癒しの時間になればいいと思うようになった。

 ピアノの先生にはいろんなタイプの人がいる。知人の妹さんは2児の子供を持つ専業主婦で、家でピアノ教室を開いていた。普通子供にピアノを教える場合、大抵の先生は生徒の機嫌を取って、うまくレッスンに誘導しようとする。上手に弾けたら、ご褒美に飴を貰える教室もある。そうでもしないと生徒が集まらないからだ。だが、妹さんは熱心さのあまり、子供を思うあまり?どうしても厳しく接してしまう。とてもいい先生なのだが、手加減なしなので、当然子供は大泣きする。その結果、子供は彼女を怖がってもう来なくなってしまうのだ。それでも彼女は「やりすぎたかなあ」とは一切思わず、今の自分の態度を改めるつもりもない。「あの子は子供に手加減することができないからダメなのよね」と知人は嘆いていた。

 そういえば、昔私が日本語教師養成講座に通っていた時、知り合った中年の女性は以前はピアノ教師をしていた。なぜやめたのですかという私の問いにその人はこう答えた。「もう子供の機嫌を取るのに疲れてしまったの。今度は大人を相手にしようと思って」。

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