人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

雨が続いてやる気が出ない

今週のお題「やる気が出ない」

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 雨は恵みの雨でもあり、また憂鬱の種にもなって

 今朝いつものように散歩に行こうと外に出たら、日差しが見えたので一瞬嬉しくなってしまいました。今日は梅雨の晴れ間かと思ったのですが、帰る頃には相変わらずの曇天でがっかりしました。今年は例年より20日も早い梅雨入りだそうですが、早いからと言って明けるのも早いかと思ったら、そうとは限らないのだと『天声人語』に書いてありました。つまり、今年は梅雨との長いお付き合いが続くのを覚悟しなければならないようです。梅雨を五月雨というのは旧暦に由来していて、俳句には「五月闇(さつきやみ)」という季語もあって、なかなか適切な表現だなあと感心してしまいます。そして、この時期悩まされてしまう黴(かび)もまた夏の季語なのだと初めて知りました。
 考えてみると、雨が降り続かなくても、いつだって雨は悪者だった気がします。「あいにくの雨」でとか、「雨が降って足元が悪い中」ご来店いただきとか、「嫌な雨」で気分が悪いとか、散々ひどい事ばかり言われているのです。以前、同僚が「こんな雨ばかりじゃ、やる気が出ないわよね」と私に同意を求めたことがありました。でも、正直言って、自分としては雨が降るのはそんなに嫌でもなかったので、返答に困ってしまいました。どうやら、外で降る雨は人間の心にも雨を降らせてしまうらしいのだと気付かされました。なので、自分はけっこう雨がポツポツとかシトシト降る音を聞くのが好きだなんてことを言うのはやめておいたのです。「雨が降るのがそんなに嫌なの?」だなんて聞けるわけがないのでした。不思議でしかないと卒直に聞いてみたい気がしたのですが、変な人と思われるのが嫌で言葉をぐうっと飲み込みました。

 思えば、子供の頃は今よりももっと雨降りの日が大好きでした。小学生だったあの頃、学校に差していく傘は黄色と決まっていました。交通安全の面からも、一番目立つ色ということで黄色がいいと考えられていたのです。でも、子供の心はまた別で、可愛くて、ぱあッとした綺麗な色の傘が差したいのです。だから、唯一の楽しみは長靴で、長靴だけは好きな色を選べるのです。お気に入りの長靴を買ってもらうと、雨の日が待ち遠しかったものです。水たまりで遊んだり、寄り道して木々の葉っぱの上にアマガエルがいないか探したものでした。雨上がりに急に姿を現すヒキガエルは気持ち悪いのですが、親指ほど小さな黄緑のカエルは可愛いのです。だから、触って見たくて堪らず、指でつまんで自分の手のひらに乗せてみました。じっと動かずに大人しくしているカエルを少しの間眺めて、それで十分満足したものでした。

 雨というと、韓国ドラマの時代劇のある場面が思い浮かびます。次期王と噂される世氏(セジャ)と女官が予期せぬ雨に降られて建物の軒先で雨宿りをします。すると、その女性は濡れてしまうのに、手を伸ばして手のひらで雨を受け止め始めました。空から降って来る雨粒を、まるでキラキラ光る宝石でもあるかのようにうっとりと眺めていたのです。明らかに雨を嫌っていないのです。というより雨を歓迎しているかのようにも思えてきます。こんな場面は日本のドラマでは見たことがありません。どうやら外国では、少なくても韓国では、雨は日本ほど嫌われ者ではないようです。その国によって雨に対する感じ方も思いも違うらしいのです。その後、ある外国のドラマでも同じような場面を見るにつれて、その思いが一層強くなりました。

 行きつけのカフェの店主が雨の日はお客さんが少ないのだと嘆くほど、それくらい雨の影響は大きいのです。でも、その日本の常識は世界でも同じと思っていたら、違っていて面食らった経験があります。ベルリンにある博物館群の一つであるペルガモン博物館に行った時のことでした。その日は朝から雨がシトシト降り続いていたので、そんなに早くから列に並ばなくても大丈夫だと思っていました。人々は皆雨を敬遠して朝早くから来ないものだと決めつけていたのです。でも実際は行ってみたら、長蛇の列で仰天してしまいました。外国では日本ほど雨にこだわらないのだとわかって目から鱗でした。

 残念ながら、すでに梅雨に突入してしまった今となっては、気持ちを切り替えるしかありません。「雨でやる気が出ない」という前にどうしたら気分が晴れるか、その対策を無い知恵を絞って考えるしかなさそうです。

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