人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

読書感想文の書き方指南

なぜ、面白かった!では駄目なのか?

 脚本家の三谷幸喜さんが朝日新聞のコラム『ありふれた生活』の中で読書感想文について書いていた。三谷さんは自身が出演している番組のニュースキャスターの中で感想文についての意見を求められた。職業柄、さぞかし子供の頃も作文が得意だったと思いきや、予想に反して苦戦していたと言う。なぜかと言うと、本を読んだ感想と言われても、普通は「面白かった」とか「感動した」とか「主人公は勇気があって、とてもえらいと思った」ぐらいしか思い浮かばない。学校の先生が子供に求めているのは、具体的にどこか、どう面白かったのか、あるいは、物語の中のどの場面に感動したのかだ。

 だが、自分の言いたいことをどう書いていいのか分からなかった。感想と一口に言われても、原稿用紙2枚にまとめ上げることは至難の業だった。自慢にもならないが、本を読んだ感想を書くのにはたった3行で十分だった。子供は正直だから、どう思ったか聞かれたら、心のままに話すことはたやすい。だが、それを原稿用紙に文章として落とし込むのは苦痛でしかない。だいたいが、読書感想文の書き方なんて、教えて貰っていないのだから当たり前だった。

 「たった3行で」と書いたのは、以前新聞を読んでいたら、ある著名人が『子供にとって感想文がそんなに重荷なら、3行でもよしとすべきではないか』と指摘していたからだ。これならどんな子でも悩むことなく感想文が書ける。3行感想文だなんて、なかなかいいアイデアだと感心した。原稿用紙2枚の隙間を嫌々埋めるよりも、よっぽど楽しいことこの上ない。たった3行で何が書けるの?という意見もあると思うが、大事なのは自分がどう感じたのかを文字にすることだ。そうやって、自分の感想を皆に知ってもらい、また自分以外の子がどう感じたのかを知るいい機会にもなる。感動の共有は共感の始まりで、他者と繋がっているのだと実感できる。

 子供の頃、大抵の子供は読書感想文はあらすじを書くものだと思っていた。その理由は簡単で、肝心の感想を書いたら、原稿用紙の升目が余り過ぎて困ってしまったからだ。無い知恵を絞ってみたが、書くべきことが何も思いつかない。仕方なくあらすじで誤魔化すしかなかったのだ。それにあらすじを書いた方が早く原稿用紙が埋まった。クラスの子供が皆そうやったので、担任の先生は業を煮やしたのか、あらすじ禁止令をだした。夏休みが始まる前に「感想文にはあらすじを書いてはいけません」と先生は無情にも私たちに言い放った。そんな無理難題を言われても、どうすればいいのか分からない。原稿用紙2枚を本を読んだ感想でいっぱいにすることなど至難の業だった。

 先生があらすじ禁止令を出したことで、余計に読書感想文のハードルは高くなった。それまでの苦手意識とやりたくない気持ちが、私を自然と感想文から遠ざけた。その結果、9月1日の登校日の前日はさぞかし大変だったと想像できる。こう書くとまるで他人事だが、新学期が始まって、果たしてどう始末をつけたのか記憶にない。

 三谷さんのアドバイスによると、『その本を読んでどう思ったか、そんなことを書く必要はない。それを書こうとするから、文章が進まない』のだそうだ。ええ!?どういうこと!でも、待ってください。普通は感想文はそういういうものですよ。現に学校の先生もそう言ってますから。ご本人も、あくまで極論なのだがと前置きしているが、あらすじは書く必要はない。それよりも大事なポイントは『その本を読む前と後では自分がどう変わったか、もしくは変わらなかったかを書けばいい』そうで、必要ならあらすじを書いても構わない。

 ふ~ん、感想文に対してそういう捉え方もあるのかと目から鱗だった。あらゆるもの事を多面体だと考えて、視点を変えて見てみるのも読書感想文の攻略法のひとつかもしれない。現在の私は読書感想文を書くにあたって、自分の言いたいことを的確に表現できないもどかしさにいつも襲われている。

mikonacolon