人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

子供のために会社をサボる時

今週のお題「サボりたいこと」

子供のおかげで、リフレッシュできた?

 友人は子供がまだ保育園に通っていた頃、一度だけ会社をサボったことがあると言う。「誤解しないでね、若い頃ならともかく、自分の都合でなく娘のためだからね」と何度も強調する。自分の気持ちがどうのこうのという問題ではなく、娘が保育園に行くのを拒否したからだ。友人にとってはまさに青天の霹靂ともいうべき出来事だった。何の前触れもなく娘がある日の朝、「なんか、今日は行きたくない気がするの。だから保育園はお休みする」と宣言した。親の承認を得るまでもなく、もう自分で行かないと決めていた。娘のおでこに手をやるが、熱はないようだ。「具合でも悪いの?どこか痛いの?」と尋ねるが首を振って違うというジェスチャーをする。

 普通なら、「なんで行きたくないの?行かなきゃダメでしょう」と説得にかかることもできるが、娘は普段はとても良い子で、保育園が大好きな子だ。毎朝、親の前を率先して歩き、親に連れられて行くというより、親を保育園に連れて行ってくれるような子だった。3歳の娘のクラスは子供が16人いて、そのうち女の子はたったの4人しかいない。なので、女の子は重宝され、娘はモテモテで、チヤホヤされて、楽しい保育園ライフを送っていた。だから、保育園で何かあったとは考えにくい。それに、担任の先生は若いのにも関わらず、一人ひとりをちゃんと見る目を持っている優柔な保育士だった。園の連絡帳を見ても、特に目立った出来事は起こっていない。

 それなのに、どうしてなのだろうと、内心戸惑っていたら、「今日はママと一緒に居たいの」。娘にそう言われて、ハッとした。そうか、仕事が忙しいとかなんだかんだと言い訳ばかりして、ゆっくり娘と過ごしたことなどなかった。子供はそのことにちゃんと気づいていたのだ。子供は子供なりに保育園で楽しく過ごしてはいるが、その間は親とは離れ離れで、まだ小さいのだから親を恋しく思うのは自然なことだ。娘の言い分はもっともだ、無理もないと反省した。今日は何としてでも、娘の気持ちを尊重しなければならない。今日一日は大事な娘のためだけに使うと心に決めた。「わかった。今日一日はママと一緒に居ようね」と娘に向かって言うと、安心したような顔をする。

 だが、その前にしておかなければならないことがあった。これが一番の重要事項なのだが、「大変申し訳ありませんが、今日はお休みします」という会社への連絡だ。どう言い訳しようか、何を理由に休もうか、いや、サボろうかと思案した。一番相手を納得させられる理由は病気による欠勤だが、本人の場合だと、それくらいなら来いよなどと思われかねない。熱があってなどと言う場合、あまり高熱だと翌日も怪しいなあと思われてしまうのは避けたい。なぜなら、今日一日限りの休息でいいのだから。それで一番相手を納得させられて、仕方がないかと諦めさせる手段を使うことにする。「子供が熱を出して云々・・・」と平気な顔で、電話の相手は知るわけないので、いかにも心苦しいという感情をこめて言ってのける。当の子供は熱などなくても、元気そうでも、嘘も方便とお決まりの文句を並べたら、相手は言い返すこともできずに「お大事にね」と言ってくれる。

 よかった、セーフだ、これで何の気兼ねもなく、正々堂々?と今日一日休める。なんだか嬉しくなって、子供に「遊園地でも行こうか?」と誘ってみる。会社サボって遊園地!?別にいいではないですか、これもすべて娘のためです。そんなことを考えていたら、本人曰く「遊園地は行きたくない。ママとお散歩したい」。散歩だなんて、そんな面白くもないことでいいのかと仰天したが、大人に小さな子供の気持ちなど分かるわけもない。親としてはふっと湧いた休日を何とか盛り上げて、母と子の記念日みたいにできたらいいなあだなんて愚かなことを考えているのだが。母親の提案はあっさり却下されたが、あれから親子は青い空の下を手を繋いで歩いた。娘は普段あんなに外の景色をゆっくりと、じっくりと眺めたことはなかった。だからか、「ママ、ツツジが綺麗だねぇ~」とご機嫌だった。

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