人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

季節の花が楽しめる上水公園

今週のお題「好きな公園」

桜の花に誘われて、行ってみたら

 最近私の足はいつの間にか、川沿いに向かっている。いつもの朝の散歩コースではなく、それよりもずっと遠い方向に。片道30分程度と決めているのだが、そんなことはお構いなしに気持ちがそちらに向いてしまう。そこに何があるかというと、最初は満開の桜で、近所の人の噂話に乗せられて行ってみた。一度行ってみたら、もちろん桜の花はそれはそれで目の保養になるのだが、桜が散ってしまった後も十分楽しめる。川沿いに桜の並木道があり、そこは上水公園になっている。子供が遊べる滑り台などの遊具もあるのだが、子供は遊んではいない。だが、ベンチがいくつもあって、大人が座って寛いでいる。早朝は犬の散歩をしている人が多く、飼い主たちが知り合いなのか、楽しそうに立ち話をしている。

 そこの何がいいのかというと、緑に溢れていてまるで森の中にいるような気分になれることだ。現実からしばし遠ざかって、別の世界に居るかのように錯覚してしまう。絶えず鳥のさえずる声が聞こえてきて、鳥の楽園かと思ってしまうせいもある。そういえば、桜のつぼみがほころび出した頃、「ホーホケキョ、ホーホケキョ」という鶯の鳴き声を聞いた。居場所を探そうとしたが、鬱蒼とした木々の陰に隠れていてその姿はわからなかった。それから数日経ってまた鳴き声を聞いたが、それが最後で、それっきりもう鶯と出会うことはなかった。この上水公園は早朝はさすがに人通りはまばらだが、お天気のいい昼間に訪れると、花見をしようと大勢の人で溢れていた。花見と言っても歩きながら桜を愛でるだけなのだが、遠出ができない今の世の中では、ちょっとした行楽気分になれる特別な場所に違いない。

 見渡して見ると、この川沿いには集合住宅が多く立っていて、それだからか一見して小学校とわかる建物もある。それらの建物の窓は一斉に川沿いの桜の方を向いていた。そうか、この辺りに住めば、外に出かけなくても家のベランダから満開の桜が堪能できるのだ。家のベランダから花見をしながら食事を楽しむこともできるなんて、まさに一石二鳥と言える。人目が気になるなら、人出が少ない早朝がもってこいの時間だ。今年は例年のように春の嵐に邪魔されることもなかったので、思う存分桜の花を満喫できた。だが、悲しいかな、咲いた花はいつかは散るのが運命だ。あっと言う間に葉桜になると、人々のこの上水公園への関心も薄れた。だが、私にとっては緑一面の公園もそれはそれで清々しくて、落ち着いていて気持ちがいい。それに桜にばかり気を取られていたら、道路沿いに植えてあったツツジが咲き始めたのに気づかなかった。今では赤、薄ピンク、ピンク、白といった花々のコントラストが鮮やかで美しい。

 普段灰色のコンクリートばかりを眺めていると、その光景は当たり前で、何の変哲もない出来事にしか思えない。でもその季節になると必ず花を咲かせる自然の力は凄いと改めて思う。先日、ツツジの花に見とれていたら、すぐそばにある低木からものすごい勢いで葉っぱが伸びているのに気が付いた。「元気がいいなあ、何だろう?」青々としたその葉っぱはどう見ても紫陽花で、ツツジの後の出番を待っているのだ。冬の間は剪定されて、枝を短く切られてじっと我慢をしていた紫陽花が、もう今から準備をしているらしい。紫陽花と言えば、思い浮かぶのは梅雨で、ジメジメ、ムシムシであまり歓迎されない季節だ。あらゆるものがカビに覆われ、途方に暮れて頭が痛い季節でもある。負のイメージばかりが付き纏う梅雨は私もあまり好きにはなれないが、唯一紫陽花だけは別だ。土壌によって色が左右されるせいか、毎年違った色合いが楽しめるので大好きだ。梅雨時の憂鬱をほんの一瞬でも慰めてくれる花でもあるからだ。

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